『「わからない」という方法』『「わかる」とは何か』書評

「わからない」という方法 (集英社新書)

「わからない」という方法 (集英社新書)

「わかる」とは何か (岩波新書)

「わかる」とは何か (岩波新書)

今回は「わかるということはどういうことなのか」について、関連する2冊を読んでみた。この2冊は全く趣が異なる本であるにも関わらず、「わかるということ」「理解するということ」について、解釈を共有していることに気がついた。まずは橋本の本からの引用。

「わかる」とは、自分の外側にあるものを、自分の基準に合わせて、もう一度自分オリジナルな再構成をすることである。(橋本105頁)

次が長尾の本からの引用。「文章の理解」についてであるが、同じことである。

文章を理解するということは、書かれている内容を読者が自分のなかに再構築することである。これは、再構築したものを他人に説明するといった形で外部に出すことによって、もっともよくおこなわれる。その過程で、理解できていなかった部分が明らかになり、再度もとの文章を読みなおしたり、質問したりすることが必要となる。つまり、対話という過程が大切となるのである。(長尾120〜121頁)

つまり、見たり聞いたりした情報を自分なりに噛み砕いて納得できる形にすることが「わかる」ということである。具体的には、「言い換え」という作業も、その一つであると考えられる。よって、同一の事物や現象についての表現方法が多様であればあるほど、「わかる」の深度も大きくなる。


しかし、タイトルからもわかる通り、橋本の本は「わかる」よりもむしろ「わからない」の方に着目した本であり、「わかる」を前提にした時代はすでに終わり、これからの時代は「わからない」を前提にして生きていくしかないと結論づけている。長尾の本は、内容の8割が論理学の入門的知識についての説明であり、残りは20世紀以降の科学技術のあり方と今後のあるべき姿についての解説である。正直なところ、後者は新書の中ではあまり売れるとは思えない内容の本である。


以下にこの2冊の中で重要な箇所をまとめておこう。


橋本は、「二十世紀は、「わかる」が当然の時代だった」(橋本19頁)と言う。つまり、何か自分の理解を越えることにぶつかった時、その正解はこの世のどこかに必ず存在しており、現時点では自分はそれを知らないだけなのだと誰もが信じていた時代だったということである。20世紀の進歩主義史観が、教育によってできる限り多くの正解を手に入れることを最も崇高な目標とし、誰もが正解の存在を疑うことなく邁進した時代だった。

だから、人は競って大学へ行ったし、子供達を競わせて大学に行かせた。ビジネスの理論書を必死になって読み漁ったし、誰よりも早く「先端の理論」を知りたがった。それをすることと、現実に生きる自分達が知らないままでいる「正解」を手に入れることとは、イコールだと思っていたのである。(橋本19頁)

ところが、必ずどこかに正解は存在し、その正解を手に入れさえすれば全ての問題はたちどころに解決すると信じられた時代は終わり、そのような「信仰」は幻想に過ぎないということが世紀末に認識されるに至った。そうした現象が一足早く現れたのが、橋本によれば、活字の世界であった。

「活字離れ」とは、つまるところ、「活字の世界に早めに訪れた二十世紀の終焉」なのである。二十世紀は、「わかる」が当然の時代だった。自分はわからなくても、どこかに「正解」はあると、人は単純に信じ込んでいた。そして、なにがその「正解」を供給していたのか?つまりは、本である。二十世紀の活字文化は、「正解」と思われるものを供給し続けていた。しかし、「どこかに正解はあるはず」というのは、二十世紀の錯覚である。活字文化は、その「正解」の存在を信じて、大量の本を供給し続けて来たが、その供給がある程度以上のレベルに達した時、「“正解”があるというのは幻想ではないか?」という事態が訪れた。それが、「活字離れ」である。「活字離れ」とは「“正解幻想”に対する幻滅」なのだ。(橋本78頁)

もしこの解釈が妥当なものであるとするなら、昨今の「活字離れを嘆く」という風潮はかなり本質を外したものであるように見えてくる。問題は、活字から離れてしまった人々の方にあるというよりも、活字そのものがこれまで提供し続けてきた幻想にこそあるのだということになるからだ。


では、もはや追い求めるべき正解がなくなった21世紀に、人はどう生きていけばよいのか。

私が言いたいのは、「便利な正解の時代」が終わってしまったら、「わからない」という前提に立って自分なりの方法を模索するしかないという、ただそれだけのことである。(中略)私は「新しい方法」を提唱しているのではなく、「人の言う方法に頼るべき時代は終わった」と言っているだけなのである。(橋本226〜227頁)

橋本の真骨頂は、「わからない」を前提にして自分なりの方法を模索する上で、脳よりも身体に決定的な重要性を置いた点である。「脳は、「わからない」という不快を排除する」(橋本251頁)ため、手っ取り早く暗記に走ったりする。暗記とは、納得するという機能を停止させることを意味するので、記憶として定着せず、「さっさと排除されてしまう」(橋本238頁)。きちんと記憶としてインプットしたものは、たとえ忘れてしまっても身体がしっかりとそれを保持しており、必要に応じてそれを復活させることができる。

入ったものは、「忘れた」という形で身体にキープされるのである。「忘れた」と言うのは、身体という膨大なる広さを持つ倉庫の管理人である脳のセリフであって、管理人は忘れても、「入ったもの」は、倉庫の中でちゃんと眠っている。(同上)

「忘れる」ということを積極的に解釈してみせたあとで、さらに橋本は「知らない」を恐れる必要もないと言う。

知らないのなら、それを改めて知ればいいのだし、それを「知らない」のままにしていたのは、それを知る必要がなかったのだから、べつに恥じる必要もない。すべてを「一般教養」的な枠にはめて、「知っておくべきことはカクカクシカジカ」と信じている人達は、時としてそういう実際主義者をバカにするが、そういう一般教養主義者はたいしたことのない人間ばかりだから、べつに恥じる必要もこわがる必要もないのである。(橋本234頁)

「わからない」「知らない」「忘れる」といった、20世紀的価値観においては否定的に見られる言葉も、橋本の本を読んだあとでは、知的作業が始まる起点としての新しい意味合いを持っている言葉に思われてくる。


橋本の本を読み始めた時は「なんてくどい作家だろう」と思っていたら、さらに読み進んだところで橋本自身がそれに言及していた。確かに「説明」は作家の基本かも知れないが、「くどい」と「わかりやすい」は必ずしも同じではないと思うし、それが「自分はそんなにバカではない」(橋本94頁)というプライドの問題だとも限らないと思う。「流れが遅すぎる」せいで、理解のための筋がぼやけてしまうからではないだろうか。


長尾の本については一点だけ、まとめておきたい。分野の行き過ぎた専門化・細分化には批判が多いが、論理学的にはそれはある程度不可避のことだったと言えることがわかった。

(鄯)A→B
という推論形式では満足できず、
(鄱)A→A1→A2→…An→B
という詳細な世界に入っていき、より基本的な考え方、より基本的な推論規則によってものごとを説明したいと考える。
それはなぜなのだろうか。その理由の一つは、このようにすれば(鄯)のA→Bという推論規則にくらべて、たとえば(鄱)の中のAi→Ai+1という推論規則のほうがはるかに多くの異なった現象の説明に利用できるということがあるからである。そして、より単純で基本的な規則で説明できるほうが、全体が明確に理解できるし、学問体系が美しい形につくりあげられるという魅力があるからでもある。もしそうなればAi→Ai+1という規則は、汎用的で基本的な規則としての地位を獲得することになるだろう。科学者はそういうこともあって、より基本的、より詳細な要素的世界に入っていくのだと考えられる。(長尾53〜54頁)

ところが、こうして細分化された学問体系は、細分化の程度に応じて、場の制約も比例して大きくなると考えなくてはならない。

ただ、ここで注意しなければならないことは、より詳細な世界に入っていけばいくほど、その基本的な規則Ai→Ai+1はその世界固有のものとなってしまったり、またそれが成立する場の条件がきびしく限定される可能性も出てくる。その場合、そのような条件が忘れられたり、正しく認識されずに他の条件の場に対しても適用されてしまうと、誤った結論を導きだす危険性も出てくるのである。(長尾54頁)

この本で失望した点は、西欧的価値観に基づいた科学技術がもたらす弊害を解決する上で有効なものとして、東洋的思想を持ってくるという陳腐な結論に終わってしまったことである。もし本気で東洋的思想における「共生」の有効性を説くなら、実際世界においてそれがどう機能する(している)のかを具体的に説明しなくてはならない。抽象的なレベルではなんとでも言えるだろう。


論じ方は全く異なる2冊であったが、いま「わかる」ということをどう考えたらよいかについて、いろいろヒントを与えてくれた本だった。