佐々木良昭『ジハードとテロリズム』書評

 著者が本書を書いた理由は、「これまでに何百冊となく出版されたアラブやイスラムに関する本のほとんどが、アラブの一般的紹介とイスラム教の紹介、あるいは専門書と呼ばれる種類の本」(4頁)であり、「アラブやイスラム世界に生を享け一生を送る人たちや、彼らの信仰するイスラム教について皮膚感覚で書いた本は、いままでにほとんど出版されていないのではないか」(同上)という問題意識があったからである。

 しかし、自分のこれまでの読書経験から言って、このように「皮膚感覚」とかそれに類似する「現実にどっぷり浸かって初めてわかること」を強調する論には注意が必要である。最もありがちなのは客観性の欠如と視野の狭さである。現地の人々と長いこと寝食を共にしたとしても、それがとりもなおさず彼らの社会についての正確な認識を得ることにつながるとは限らない。第三者が他人事のようにイスラム世界を分析する論に不満を抱く個人的な気持ちはわからないでもないが、それを文章にして世に問うとなると、慎重さが強く要求される。この点において本書には首を傾げざるをえない箇所がいくつかある。

 まずは客観性(または中立性)について。イスラム教徒によるテロは、「場合によっては、イスラム教徒側の文化、宗教、財産、生命防衛に関する正当な戦いであるとも判断できる」(30頁)と書かれているが、これは明らかに偏っている。では同じことをアメリカ国内でテロを行っているキリスト教原理主義者(中絶医を暗殺しているChristian Identity運動のテロリストなど)にも言えるであろうか。イスラム原理主義者は「狂信的な者たちばかりなのではない」(30頁)というのは当たり前の話であり、現にイスラム以外の世界でもイスラム原理主義者の行為が全てテロなどとは見られていない。多くの国々がめぐらせている権謀術数がこの地域の住民を不幸にしているというのが確かに現実の一端であるとしても、知的な物書きにとってそれは中立性欠如の理由にはならない。

 また、近年イスラム教徒にとってインターネットの重要性がますます高まっていることを著者は指摘している。

彼らにとってインターネットは、一国の国会であり、マスコミであり、教育機関であり、裁判所であり、福祉機関であり、災害対策機関であり、金融機関なのだ。しかもこのイスラムのインターネットには、誰でもいつでも参加することができ、個人の単純な感情から専門家の意見までもが送られ、公表される。これほど効率的で民主的な国会は果たして現代の世界に存在するだろうか。(172〜173頁)

 しかし並行して読んでいる中公新書ラクレの『対テロリズム戦争』に、以下のようなデータが載っている。

『データブック・オブ・ザ・ワールド2001』でインターネット利用者数の人口比を国別に見ると、アメリカ42.3%、日本21.4%、韓国21.3%、イスラエル10.8%に対し、中東イスラム圏で最も普及していると思われるクウェートでも3.2%でしかない。以下、ヨルダン1.1%、トルコ1.0%、エジプト0.6%、サウジアラビア0.5%、イエメン0.03%という具合に、先進国とイスラム諸国との間では大変な格差があるのだ。インターネットどころか、アフガニスタンでは電話加入回線数さえ100人当たり0.1台しかないという状況だ。(『対テロリズム戦争』108頁)

 なんだ、イスラム圏でインターネットを利用しているのは一部の特権階級だけではないか。これでどこが「効率的で民主的な国会」と言えるのだろうか。

 また、第4章の「歴史のないイスラム世界」における「イスラム文化論」は、かつての日本人論と同質の胡散臭さを感じる。確かにこの一部は現実の一側面ではあるのだろうが、それを証明するデータがあるわけでもないし、そもそもデータが出せるような代物ではない。これが「皮膚感覚」で書かれたものが陥りやすい単純化のパターンである。(167〜170頁の「日本におけるイスラム教徒の実態」にも言える。)

 視野の狭さについて。206〜207頁の「世界の潮流は帝国主義」という箇所に明らかなように、イスラム世界以外のことについての著者の分析は浅い。先進諸国の中東政策を資源にまつわる権益だけに還元する浅薄な分析は、アメリカ国内さらにはイスラム世界以外の国々で起こっている複雑な情勢変化を全て無視してしまう。世界の潮流を論じるのであれば、世界最強国アメリカについてはもちろん、イスラム以外の地域についてもいろいろ調べなくてはならない。

 もともと国内の体制を標的にしていたアラブ・アフガン(ムジャーヒディーン)が、ソ連とのアフガニスタン戦争を経て国際化・原理化していった経緯については参考になったし、アルカーイダのナンバー2がテレビで語った内容がビン・ラーデンの死を示唆していたという論には驚き感心した。ハンティントンのようにイスラム文明圏として一括りにせず、内部の対立の熾烈さを正確に描いているのもさすがに長年現地で暮らしただけのことはあると思う。しかし、イスラム世界についてもっと知りたいと思う時、自分ならたとえ地味でも詳細なデータや調査に裏付けられた分析のほうを取る。