読売新聞調査研究本部編著『対テロリズム戦争』書評

対テロリズム戦争 (中公新書ラクレ)

対テロリズム戦争 (中公新書ラクレ)

 文章の端々に読売新聞らしいコメントが現れるものの、基本的には同時多発テロ直後の先進諸国とタリバン及びアル・カーイダの動きを丹念に追っている。前半は読売新聞記者らによる事件やアメリカの対応の報告と事件の背景の解説、後半は識者らによる個別の側面からの同時多発テロの意義の解説という構成になっている。もともと歴史上「忘れられた国」であり続けたアフガニスタンが、2003年に始まったイラク戦争のせいで再び「忘れられた国」になってしまったことを考えると、この事件の直後の各国の動きとアフガニスタンタリバン政権とアル・カーイダ誕生の経緯を本書でたどることの意義は決して小さくはないだろう。(ちなみにアメリカの識者たちにはアフガニスタン戦争とイラク戦争を完全に分けて論じる人が多いことも指摘しておく。)

 佐々木良昭『ジハードとテロリズム』の中でも指摘されていたことだが、アル・カーイダとは極めて緩やかでグローバルなネットワークであり、ピラミッド型の強固な命令指揮系統を有している集団ではないという点は重要である。世界各地で起こるテロ事件がしばしば「アル・カーイダ系過激派による行為」と説明されるが、実際にビンラーディン及びその周辺の指導者らが直接命令を下して起こったものではないということである。そういうラベリングをすることで、テロに遭った国の指導者が国民からテロ対策への理解を得られやすくなるという側面があることも事実だろう。

 もともとパキスタンとともに、イスラム原理主義過激派を駆逐するためにタリバンを支援していたのはアメリカである。その契機は1993年2月に起こった世界貿易センター爆破事件である。79年にアフガンに侵攻したソ連に対抗するために、アメリカはパシュトゥン人主体の「イスラム党」に武器・資金の大量支援を行った。ここで集められた兵たちは、CIAが組織したのだった。ところがソ連とのアフガン戦争終了後、彼らの矛先はアメリカに向かい、世界貿易センターを爆破したのもかつてアメリカが組織・支援した「イスラム党」のメンバーであることが判明した。アメリカは、今度はテロ組織と化した「イスラム党」の排除をしなくてはならなくなった。

 アフガン戦争終了後はムジャヒディーン同士による内戦がアフガニスタンで起こり、アフガニスタン社会はますます荒廃することとなった。そこで登場してきたのがタリバンであり、彼らは「内戦下にあるアフガニスタン社会の正常化、具体的には群雄割拠して内戦を続けるゲリラ組織「ムジャヒディーン(イスラム聖戦士の意)」すべての武装解除」(34頁)を第一に掲げ、地元民衆の圧倒的な支持を受けて快進撃を続けた。親パキスタンで「イスラム党」やその他の集団に対抗できる組織として、アメリカはタリバンを支援した。

 そして同時多発テロ事件によって、今度はこのタリバンを殲滅のターゲットにしていることはなんという皮肉だろう。すでにいろいろな方面から行われていることだろうが、対テロ戦争が収束した時点で、ソ連のアフガン侵攻以来のアメリカの対アフガン政策失敗の責任は追及されなくてはならないだろう。

 本書では日本の対応についても詳細が書かれている。まず認識しなくてはならないのは、このテロ事件を契機に日本で起こった安全保障政策の変化は、60年の日米安保改定以降最も大きなものであったと言ってよいことである。テロ事件後の19日に政府が発表した「当面の措置」7項目、及びその後のテロ関連法の成立(テロ特措法と自衛隊法改正)によって何が変わったか。

1.「警護出動」の追加
自衛隊自衛隊施設と在日米軍基地を警備できるようにするため」(157頁)、自衛隊の任務に「警護出動」が加えられる。(自衛隊法において、自衛隊の任務は状況のレベルに応じて①「災害出動」②「治安出動」③「防衛出動」と定められている。)

2.武器使用基準の緩和
 ・「自己または自己と共に職務に従事する者の生命、身体の防護のためやむを得ない場合」(156頁)に加えて、「職務に伴い管理下に入った者」(=難民や傷病兵)の防護のための武器使用も可能となる。
 ・飛行場などの自衛隊施設警備と武装工作員の鎮圧のための武器使用を認める。
 ・海上警備行動時の不審船に対する船体射撃を認める。

3.支援実施地域の拡大
 ・「日本領域」に加えて「公海(上空含む)及び外国領域。外国は同意がある場合に限り、現に戦闘が行なわれておらず、かつ、活動期間を通じ戦闘行為が行なわれることがないと認められる地域」が明記される。

4.国会承認は必要なく、事後承認

 以上は、1999年に成立した周辺事態法との大きな相違点である。「テロ対策のための法律」なのだから、朝鮮半島や台湾での有事を想定した周辺事態法とは異なって当たり前かも知れないが、自衛隊の任務や武器使用基準の変化は注目すべき変化であり、また、自衛隊の任務に「警護活動」が加えられ、また武器・弾薬の輸送が認められている点(外国での陸上輸送と補給は禁止)は、今まで以上に集団的自衛権との整合性が問われることになった。
 現在も政府は「集団的自衛権の行使は違憲」という内閣法制局憲法解釈を維持している。しかし同時多発テロ発生後、NATOはその創設以来初めて、北大西洋条約第5条に定められている集団的自衛権の行使を決め、「豪、ニュージーランド、米3国相互安全保障条約(ANZUS)」に加盟するオーストラリアも、同条約の第4条を適用して集団的自衛権を初めて発動した。さらには、中南米諸国で構成される米州機構OAS)でさえも、OAS設立条約(リオ条約)に定められた集団的自衛権の発動を表明した。(166〜167頁)

 もちろん、日本における個別的自衛権集団的自衛権の峻別という事態は、そうせざるを得なかった歴史的背景があるわけだが(171〜173頁を参照。田中明彦の『安全保障』は学部生の時のゼミのテキスト。秀逸。)、冷戦後のグローバル化した世界で、そうした分類がますます意味を持たなくなっていることは事実である。例えばこの同時多発テロでは日本人も多数犠牲になっているが、そうした事態を明確にどちらかに分類することなどできない。また、例えば、米国にある日本の大使館や総領事館が爆破された場合、邦人の駐在員が犠牲になることはもちろん、近隣のアメリカ人にも犠牲が出ることは避けられない。そうした事態への対処が個別的自衛権の行使か集団的自衛権の行使かを議論するのはナンセンスである。

 さらに、岡本行夫が指摘するとおり、「集団的自衛権の議論に踏み込む前に、個別的自衛権についてやるべきことはたくさんある。」(231頁)有事法制の整備がその最たるものだ。

日本には、そもそも有事に対応する法制はない。たとえば、明らかに爆弾を搭載している第三国の飛行機が東京の上空に飛んできても、実際に爆弾が投下されるまで、この敵機を撃墜できないといった驚くようなことが多々ある。(同上)

 また、山崎正和のエッセイ「卑劣な二重基準」は大変示唆に富む。タイトルを見ただけの人は米国批判かと思うかも知れないが、これはタリバンを始めテロ支援国家に対する批判である。さすがに山崎正和の議論は鋭い。そこでは主権国家システムが抱える矛盾が的確に指摘されている。

 犯人が外国にいれば、その当事国に引き渡しを求め、必要なら捜査協力を与えればよかった。問題はここにテロ支援国という存在があって、ただの犯罪を戦争に似たものにしたことである。その政権が二重基準を振りかざし、一方で主権を主張しながら、他方で国内の治安維持責任を蔑ろにしたことである。

 具体的にはアフガニスタンタリバン政権だが、この政権は今回のテロをどう定義し、どんな態度をとるのかけっして明らかにしない。テロが犯罪であり、犯人が国内に潜伏している事実を認めるのなら、主権国家としてみずからの手で逮捕するべきだろう。その能力がないというなら、国境を開いて世界の警察力の援助を求めればよい。それともあのテロは犯罪ではなく、自国の大義と利益を代表する戦争行為だというなら、それを明確に主張してアメリカと対決するべきなのである。

 いわゆるテロ支援国は、近代国家としてのこの最低限の責任を負わない。外国にたいして戦争に似た被害を間接に与えながら、それを犯罪とも戦争とも定義しない。そのくせ自分の国家主権だけは主張して、外国による警察行動を侵略戦争だと言い立てる。その点で今回のタリバンの態度は、湾岸戦争のときのイラクの姿勢とも質的に異なり、文明史上にかつて見ない卑劣さを示したといえる。

 テロそのものも卑劣な犯罪だが、テロ支援国というこの新しい政治的立場は、文明にたいするそれ以上に非道徳的な挑戦である。それは自国の事実上の戦争行為を隠すだけでなく、被害国がそれにたいして報復を行い、正規の戦争を起こす権利を奪うという意味で、二重に卑劣な政治的策略だからである。(247〜248頁)

 犯罪者の取り締まりや引き渡し等に応じることは主権国家の最低限の義務であって、それに応じられない(または応じない)国家はその主権を制限されても仕方ないという論である。こうした「主権制限論」(ブレジネフのものとは異なる)は、あらゆる国家の平等な主権を前提にした現在の国家間システムに修正を加えることを意味する。

 また、山崎の「テロは弱者に残された唯一の武器だという同情論」(249頁)は偽善以外の何物でもないという論には説得力がある。

 たとえば自由社会の論調の中に、テロは弱者に残された唯一の武器だという同情論を聞くが、現代を知る者にはこれ以上の偽善はない。第一に、20世紀の恐怖政治はナチズムも共産主義も含めて、すべて弱者の代表を名乗って台頭したのではなかったか。第二に、世紀末の10年、抑圧にたいする世界世論の反発は劇的に高まり、国境を越えて各国を動かし始めたことを忘れてはならない。コソボイスラム教徒を救ったのも、東ティモールで非イスラム教徒を助けたのも、テロやゲリラではなくて世界世論だったはずである。弱者の抵抗権が世界化する中で、暴力の論理はすでに時代遅れになったのである。(249頁)

 9・11を境に何がどう変わったのかをもう一度振り返るためには非常に便利な書。特に日本の安全保障政策がその前後でどう変わったのかを知ることは重要である。イラク戦争が始まる前のテロ対策の議論を整理するのにも使える本だと思う。