科学と宗教の接点を問う―『オウム真理教事件』から

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村上陽一郎「科学時代と宗教」

佐倉統「百年後、科学は社会を支える基盤たりえているか?」

鬼頭秀一「宗教と科学技術のねじれた関係」

森岡正博「宗教なき時代を生きるために」

(『オウム真理教事件―宗教者・科学者・哲学者からの発言』仏教・別冊No.8、法蔵館、1996年1月所収)

オウム真理教事件についての4つのエッセイを通して、「科学と宗教の関係」について少し考えてみたい。(以前にも少し触れたが、さらに深くここで議論する。)一般に科学と宗教の関係について、これら二つが相互に価値を否定し合うものとしての側面が強調されるようになったのは近代以降の話であって、その歴史は浅いということがこれらのエッセイからわかる。長い科学史の観点からみれば、むしろ科学と宗教は渾然一体のものであった。「科学法則」であると当然視されているニュートン万有引力の法則も、ニュートン自身は自然の中における「神の遍在性」(村上、181頁)を疑うなど夢にも思わなかった。「地動説を唱えたコペルニクスにせよ遺伝の法則を発見したメンデルにせよ、ほとんどが牧師や司祭だったのだ。」(佐倉、192頁)西欧近代科学はキリスト教との関わりなしには存在し得なかったものであり、「神が造った(とされる)自然の摂理を研究し、神の偉大さ(とされるもの)を明らかにすること――これが科学の役割だった。」(同上)

このような科学と宗教の関係にとって一大転機となったのが、18世紀に起こった「聖俗革命」(村上、182頁)であった。

そこで起こった革命の真髄は、「神」から「人間」への移行という形で表現できる。すべての学問や知識体系のなかから、神の働きを抹消し、必要とあればその替わりに人間を持ち込むという壮大な実験が行われたのが十八世紀西欧であった。一例を挙げれば、人間社会の倫理は、革命の以前には、神の掟、神の人間に対する命令を根源とするものと考えられていたが、革命の後では、それは人間の理性によって根拠づけられるべきものとなった。(同上)

「聖」と「俗」の分離と同時に、「俗」が「聖」の上位に位置づけられた結果、科学の絶対性はますます顕著になっていき、科学的な方法で得られたもの以外の知は、もはや知とは認められないところまで来た。科学はもはや宗教の役割の一部を代替するようになり、多少揶揄を込めて「科学教」とまで呼ばれるようになった(186〜187頁)。

科学とは特定の価値と関わらないものであるという前提を疑うことなしに受け入れてしまっている人々は、エリート科学者の卵であった一流大学の理系学生が、なぜオウム真理教などという他愛もないまやかしに惹かれていったのか、という疑問を持たずにはいられなかった。ところが、これは一般レベルにおける科学についての絶望的なまでの理解の欠如と無知がそうした疑問を抱かせているのであって、そうした無理解と無知が科学者の卵をますますまやかしの宗教へと追いやる悲劇を招いているのと同時に、近代自然科学が抱える大きな問題をも露呈している。

オウムの例に戻れば、研究のキャリアに進んで、科学者としてエリートへの途を歩み始めた人々が、どうして他愛もなくあんなまやかしに、と世間はしばしば訝るが、訝るということ自体のなかに、すべからく科学教で満足すべし、という提題が含まれていることに、どれだけの人々が気づいているのだろうか。科学が与える価値に充足できない人々の存在が、それほど奇異に映る、という事実こそ、実は奇異なのではないだろうか。(村上、187頁)

どうして、エリート科学者の卵が、オウムなんていうカルト宗教に引きつけられたのか。それが分からない。そういう声を、マスコミが流しはじめた。新聞などでは、わが国の戦後の科学教育が中途半端だったから、そんなことになったのだ。もっときちんと科学教育を行なっていれば、科学とオカルトを結びつけるような科学者なんか出てこなかったはずだ、というような論調もあらわれてくる。それらの声を聞いて、私は、ああ、とため息をつく。どうして科学者の卵が新々宗教に走るのか、私には分かりすぎるくらい分かる。そして、「その理由が分からない。もっと科学教育を徹底しろ」などと言っているあなた、あなたのような人がいるおかげで、彼らは新々宗教に走るのですよ、と声を大にして言いたい。(森岡、231頁)

自然科学に限らず、科学と名のつくものは、押し並べて「追試」が可能であることを大前提にしている。つまりそれは、「誰かが確かめた実験結果は、別の人の実験によっても、同じように確かめられないといけない」(249〜250頁)ということを意味する。そしてその実験を行う際に必ず付される但し書きが「他の全ての条件が同じであると仮定して」というものである。すなわち、実際には現実はもっと複雑にできていて、様々な要因が重なって一つの現象を引き起こしているにも関わらず、その中からいくつかの要因だけを選び出して、それ以外の要因については、とりあえずは最終的な結果に大きな影響を与えないものとする前提が置かれるのである。

このように科学的な方法論によって、実験結果に多大な影響を及ぼす変数としての地位を剥奪された要因は数多く存在し、当面のところそれは「余計なもの」として扱われる。このようにして、科学者には、科学自身によってはどうにもならないことについては、「避けて通るクセ」(利根川進の言葉、森岡244頁)があるのである。ゆえに、そのような「余計なもの」の中にこそ大事なものが存在していると考えてしまう人たちは、現在の自然科学のシステムの中では生きていけないのである。また、「自然を知ること=自然科学」とするなら、そこから「自然とは何か?」という存在論にまつわる疑問と、「知るとは何か?」という認識論にまつわる疑問が出てくる。しかし、現在の自然科学は前者にしか答えることができない(193〜194頁)。

現在の自然科学のシステムには、自分が望む答えを与えることができないと判断した科学者の卵たちは、科学では答えられない問題、すなわち生死の問題についてまともに取り組むことのできる場所を探し始める。例えば、近年注目を浴びている脳死問題について、森岡は以下のように述べている。

たとえば、脳死の議論のときに明確になったが、医学は「脳死とはどういう状態か」ということを記述できても、「脳死が人の死かどうか」ということに関しては沈黙するしかなかった。なかには、脳死は科学的に見て人の死であると断言する科学者がいたが、そのような人は科学を知らない単なるバカにすぎない。脳死が人の死かどうかという問題は、社会や政治や法や宗教や民俗や文化が作り上げる合意・取り決めによって答えるしかないというのが、脳死論議のいちばん妥当な結論である。そのレベルでは、自然科学の出る幕はない。(247〜248頁)

こうして現在の自然科学のシステムからはじき出された人たちに開かれていたのは、宗教しかなかったというのが悲劇であったと森岡は言う。自然科学では解決できない問題を抱えた彼らは、その問題を避けることなく真剣に取り組むための場を見つけられず、「決して終わることのない」真理の探究であるはずの科学を離れて、「すでに誰か(教祖や聖典)によって見つけられている」真理へと惹かれていった。

オウム事件に関連して、自然科学系の大学院生がテレビのインタビューで「いくら科学的に調べても解決できない神秘が残ってしまうので、オカルトや宗教に惹かれることもしばしばある」(196頁)と答えているのを目にした佐倉は愕然とし、そして言う。

わからないことがあるからこそ、科学で調べるのではないか。自然が神秘的であり謎だらけだからこそ、科学が面白いのではないか。木からリンゴが落ちるのを見ても、誰も不思議に思わなかった。しかしニュートンは、そこに神秘を見いだした。なぜリンゴは落ちるのだろうか?神秘を感じることこそ、科学の第一歩なのだ。謎とオカルトは科学の母。「科学とは未知を既知にすることではなくて、既知に未知を見いだすこと」とは中村桂子の名言である。(同上)

自然の神秘に惹かれるのが悪いのではない。科学では説明のつかないことに問題意識を持つことが間違っているのではない。その答えを求める場を見つけあぐねて、その答えを持っているかのように訴えかけてくる宗教に吸い込まれてしまうことが問題だということである。ここに、佐倉が基礎科学の存在意義を説く理由がある。専門家と一般大衆をつなぐはずの基礎科学がますます冷遇されていく状況下にあって、前者はますます狭い意味での「科学」に閉じこもって大衆をバカ扱いし、後者はますます科学に対して無関心となり、前者に対して、せいぜい「わけのわからないことを四六時中やっている物好きな連中」くらいのイメージしか持たない社会というのは、果たして健全だと言えるのだろうか。むしろそのような状況の中で、皆が「科学が社会的な存在であることを忘れた」(佐倉、207頁)結果、オウム事件が起きたと言えるだろう。

科学者が己の社会的責任を自覚できるような場、そして同時に一般大衆が科学に対してもっと興味を持てるような場、それは両者が接することのできる場であり、まさしくそれが基礎科学の果たすべき役割である。両者の間の共通了解を増やすことのできる場が、ますます必要とされているのである。昨今、多くの人々が論じている教養教育の存在意義も、そのような共通了解を幅広いレベルの人々に提供できるということにあるのではないだろうか。

補遺
ちなみに、言うまでもないことだとは思うが、読解力と落ち着きのない人のために敢えて断っておけば、オウム事件の被害者の遺族たちにとって、オウムに入信した科学者の卵たちを追い詰めていたのは日本社会のほうであるという説を受け入れることができないのは当然である。しかし、この事件で「たまたま」加害者・被害者にならなかっただけの大半の「第三者たち」が、遺族の怒りに便乗してそういう説に対して「オウムに同情的」という批判を向けるのは偽善以外の何物でもない。「私が“向こう側”に行っていてもおかしくなかった」(『何がオウムを生み出したのか』87頁)と言った浅羽通明森岡のように、一歩間違えれば自分も当事者であったという切迫感と真剣さのない議論は、やはり偽善でしかないと思う。