鈴木健夫『ぼくは痴漢じゃない!』書評

ぼくは痴漢じゃない!―冤罪事件643日の記録 (新潮文庫)

ぼくは痴漢じゃない!―冤罪事件643日の記録 (新潮文庫)

やってもいないのに痴漢と間違えられて逮捕・起訴された冤罪被害者の手記である。一審では有罪判決が下されたが、およそ二年の歳月を費やして高裁で無罪判決を勝ち取る。しかしその過程で職を失い、無罪判決後も再就職に失敗し続け、今は日雇いの労働者として家計を支えているという。凄まじいの一言に尽きる。痴漢事件に関わるこの手の手記は非常に珍しいと思う。痴漢で濡れ衣を着せられると、現在の刑事裁判では冤罪被害者はどういう運命をたどるのかを本書は教えてくれる。(鈴木氏の弁護人を務めた升味佐江子弁護士は、それを「有罪行きベルトコンベア」と呼んでいる。)桶川ストーカー事件についてのルポ『虚誕』でも描かれていたとおり、警察・検察は組織防衛や捜査の都合のためなら信じられないようなことも平気でする。本書では、著者の鈴木氏に警察が偽の逮捕状を見せるシーンが出てくるが、鈴木氏が書いているとおり、相手が何も知らないと思ってそこまでやるのかと唖然とした。


痴漢で逮捕される人のほとんどが実際に痴漢行為を働いた人であることを考えれば、鈴木氏のようなケースは少数派なのであろうが、であるならその少数派を誤って不幸のどん底に落としてしまった場合は、升味弁護士が書いているように、冤罪被害者が受けた苦痛に対する補償のための制度がきちんと確立されるべきだと自分も思う。

事後的な救済の点からいったら、本人と家族のうけた無形の傷のすべてを実質的に回復するのは無理ですが、せめて経済的不利益だけでもきちんとフォローする制度も確立されないといけないと思います。今のようにほんとにすずめの涙のような補償ではひどすぎます。国家賠償法がありますから、間違って逮捕した人や、間違って起訴した検察官、間違って有罪判決をした裁判官に、賠償を求め、自力で勝ち取ってください、というのはどう考えても公平ではありません。現実にはほとんど賠償の認められない裁判をまたまた自分の費用でやれというのはおかしいです。そんなにたくさん冤罪がないというのなら、どーんと補償をつけてもいいのではないでしょうか。生涯賃金分くらい払ってくださいと言いたいですね。(升味弁護士、272頁)

ただ、鈴木氏に対する無罪判決の判決文が、もし本当に痴漢をしたのなら潔く認めて罰金を払って示談したほうがはるかに合理的なのに、それをせず職まで失って闘い続けていることを、実際の痴漢ではない可能性が高いことの証拠の一つとして認めており、巨額の補償が認められたら、本当の痴漢まで頑張って裁判を闘い続けてしまうのではないかという疑問が出てくるかも知れない。職を失ってでも、ではあるが。


いずれにせよ、「やっていなくても、やったと言ったほうが得」という状況は、「刑事司法への信頼を内側から崩壊させ」(升味弁護士、313頁)かねないことだけは明らかに思われる。

最近は、元被告人の無罪になるまでの苦労が大きく取り上げられてみんなが否認すると大変であることをなんとなく知っているせいか、強制わいせつ事案でも、「やっていないけれど、仕方ありません。やったことにして示談してください」というひともかなりいるように思います。このようなケースは表向き「冤罪」にはなりません。本人が有罪を認め、争っていませんし、示談して告訴を取り下げてもらうので裁判すらないからです。こういう不正義の横行は、そのうち日本の刑事司法への信頼を内側から崩壊させると危惧します。でも、弁護士にはありふれた現実なのです。(313頁)

鈴木氏の場合、家族の理解と支えがあったのが不幸の中にあって最大の幸運であった。鈴木氏の妻の言葉が泣かせる。

鈴木さんの場合、奥さんが「私は彼が“やった”と言ったっていいんです。“人を殺した”と言ったっていいんです。彼が家族にとっていい父親で、いい夫であって、かけがえのない人だっていうことにかわりはないし。だからもし痴漢をしていたのならそう認めて、そのうえでどうするかってこれからの生活を考えます。でも、彼はやっていないと言っているし、頑張っている。私もやってないと思っている。それなのに私のほうから“認めてしまって、早く出てきて”とは言えない」と言っていました。ですから、司法取引も問題になることはありませんでした。その点に関しては鈴木さんは幸せ者なのです。(升味弁護士、217頁)

鈴木氏が仮に運の悪かった人だとしても、その「運の悪い人」は着実に増えているという。しかもそれは突然誰にでも降りかかってくる災厄なのである。当面は「女性専用車両」などを増やしたりするしかないのだろうが、もっと根本的なことを言えば、満員電車のあの混雑ぶりがすでに非人間的なのである。あれは確実に人間の精神を荒んだものにする。もともと人ごみは大嫌いだったが、この本を読んでますます嫌いになった。政治家、企業、鉄道会社が協力してあの「非人間的蒸し風呂」を解消させないと、いつまでもこの類の冤罪は生まれ得ると思う。