北原みのり『毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』引用

毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記

「見知らぬ男女が出会う婚活サイトは、身も蓋もないほど「自分が商品」であることを意識させられる場だ。年齢、年収、住んでいる場所、家族構成に顔写真。プロフィールの情報が全て「条件」として交換されていく。」(p.46)

「佳苗のドライさと、その結婚観は、女にとっては、奇異に映るものではないのかもしれない。実際に婚活サイトを見ても、女性が手料理自慢をしたり、自らを癒し系とアピールしたりなど、分かりやすい女らしさを売りにし、高所得男性を求めるのが、“一般的”である。対して男は、「白馬の王子様、ここにいるよ」という50代や、「手料理、食べたい」とかいう30代フリーターが、自分より10も20も若い女性を求めるなど、現実離れした状況が横行している。まるで全ての男性がカモであるかのような気すらしてくるほどだ。」(p.87)

「男は佳苗が不美人故にこの事件に関心を持たないが、女は佳苗が不美人だからこそ、関心を持つのかもしれない。この社会に生きていれば、不美人であることの不遇を、女は痛いほど感じている。女は、男のようにブスを笑えない。自分がブスだ、と自虐はしても、他人のブスは笑わない。それは天につばするようなものだから。そんな社会で、佳苗は、軽々と“ブス”を超えたように見えるのかもしれない。容姿を自虐することなく、卑屈になることもなく、常に堂々と振る舞う佳苗。不美人を笑う男たちを嘲笑うように利用したのは、不美人の佳苗だ。そこに女は、佳苗の新しさをみる。」(p.88)

「絶対に潤うことのない欲望を抱え、キリキリした思いで、だけど身の丈と理想が追いつかないちぐはぐな佳苗。欲望を満たすために佳苗が取った「援助交際」は、ある世代にとって、この社会との“付き合い方”でもあった。だから女たちは、佳苗に、自分に、問うのだ。佳苗の罪は何だろう。私と佳苗の違いは何だろう。」(p.91)