「忙しすぎる=スケジュール管理に失敗した証」

孤独であるためのレッスン (NHKブックス)

「「忙しい」こと、とりわけ忙しすぎることは、決してよいことではなく、スケジュール管理に失敗した証として、むしろ、恥じるべきことなのです」(p.88)

「私はあえて断言しますが、忙しいこと、人づきあいが多いことなどは、どちらかというと“浅い”人生を表すものとしてあまり好まれなくなる時代が、もうしばらくすると、やってきます。“多さ” “広さ” “速さ”といった物差しは、人生の価値の尺度としてどんどん見放されていき、むしろ、人生の“浅さ”を示すものと受け取られるようになるでしょう。そうした、水平次元の価値尺度は急速に価値の下落を落としていくはずです」(p.88)

「それに変わって登場するのが“深さ”の次元です。そして、“深さ”の次元が人生の価値尺度として重要視されるとき、不可欠となるのが、孤独になる能力、充実した孤独、豊かな孤独をエンジョイできる能力です」(p.88)

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「孤独を深めることができた人、それゆえに、独自の精神世界を展開しえている人にとって、瑣末な人間関係に気を費やして疲れ果ててしまうことは、耐えがたい、愚かな行為にほかなりません。事務的な仕事やさまざまな交渉事に人生の大半を費やすことは、そんな人から見れば、もはや死んでいるに等しい。生きていることにはならないのです」(p.129)

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「もっと仕事をしたい、活躍したい、と思えば、どうしても、生活のスピードは速くなってきます。これは私たちの自我にとっては、有能感を与えて快適です。しかし、あまりにそれがすぎると、私たちの魂がないがしろにされ、息苦しくなってきます。魂は、必ずしも社会で定められた共通の時間に適合しない、固有のリズムを持っているからです。

 したがって、心全体のバランスを取るためには、自我の欲望を満たしながら、魂のリズムですごす時間を確保することが大切。そしてそのためには、ある程度の時間、社会から――ということはつまり、この社会における合意された時間から――“離脱”することが必要になってきます。魂の渇望に耳を傾けるための時間と空間を用意しなければ、そのうち、恐ろしい逆襲にあうことでしょう」(pp.140-141)

 

ゲシュタルトの祈り

わたしはわたしのことをやり、あなたはあなたのことをやる。

わたしはあなたの期待に応えるために、この世にいるわけではない。

あなたはわたしの期待に応えるために、この世にいるわけではない。

あなたはあなた、わたしはわたし。

もし偶然にお互いが出会えれば、それは素晴らしいこと。

もし出会わなければ、それはそれで仕方がないこと。(pp.98-99)