文化外交の成果測定の難しさ

文化と外交 - パブリック・ディプロマシーの時代 (中公新書)

「文化活動(文化外交や交流外交)の成果は長期的スパンで評価する必要がある。例えば、アレクサンドル・ヤコブレフが米ソの交換留学生として一九五八年に一年間コロンビア大学に留学したことの成果は、彼がミハイル・ゴルバチョフ政権のナンバー2としてペレストロイカを推進するまで、実に二〇年以上経ってから明らかになったともいえる」(p.153)

 

「私がハーバード大学に留学していた一九九〇年代には、アメリカ政府からの資金援助を受けて、同大のケネディ行政学院に、ロシアや中国の将校らが数十名単位で招かれていた。近年は、中国政府の官僚などへの研修も行っているようである。こうした交流事業の成果もまた二〇年、三〇年単位で評価すべきものだろう」(p.155)

 

「二〇一〇年現在、世界約五四ヵ国に五万人以上の元JET生がおり、東日本大震災の際には、彼らが世界各地で被災地のための募金活動や支援イベントを牽引した。各国の大使館、省庁、大学、メディア、ビジネスにも元JET生が数多く存在している。まさに四半世紀におよぶ地道な活動と信頼構築の賜物といえよう」(pp.155-156)

 

「しかし、そのJETプログラムも、二〇一〇年に行われた「事業仕分け」では、「中学校や高校における英語のスコアの伸びに成果が反映されていない」といった理由から「見直し」と判定され、一時は事業廃止の瀬戸際まで追い込まれる有り様だった。生身の外国人と英語でコミュニケーションできたことは、生徒の内面に少なからぬ変化をもたらした――あるいは変化の種を蒔いた――と思われるが、そうした点が考慮されることもなかった」(p.156)

 

「厳密に考えれば考えるほど、ある種の変化がパブリック・ディプロマシーによってもたらされたのかは判断が難しくなる。(中略)

 しかし、同じことは政策全般に言えることではないだろうか。例えば、ある経済政策の成果を因果関係の枠組みに明確に位置づけることや、客観的な測定や評価を行うことは、そう容易ではないはずだ。アメリカが世界恐慌を克服するにあたり、フランクリン・ルーズベルト大統領が行ったニューディール政策が本当に大きく寄与したのか、それとも第二次世界大戦の軍需増加により多くを負っているのかは、八〇年近く経った今日でも経済学者の間で評価が大きく対立している。パブリック・ディプロマシーについてのみ厳密な評価を求めるのはアンフェアではないか。ましてや、パブリック・ディプロマシーは商売ではない。目先の成果や効率を求めることは、そもそも筋違いである。ビジネス・マインドではなく、ディプロマティック・マインドによって評価することが肝要だ」(pp.156-157)