「イデオロギーの絶対性と真性性を問うことは不毛」

〈文化〉を捉え直す――カルチュラル・セキュリティの発想 (岩波新書)

「保守とリベラル、右派と左派、現実主義と理想主義、タカ派ハト派性悪説性善説悲観主義と楽観主義……。「二項対立の発想は古い」と繰り返されてはいるものの、社会や文化にまつわる自らの立場をこうしたイデオロギーの座標軸に位置づけようとする誘惑には、依然、根強いものがある。実際、軸足を固めることで自らのコンフォート・ゾーン(快適な領域)に安住することも可能だ。しかし、私自身は、そうした割り切りに未だ馴染めずにいる。あるイデオロギーが正しいか否かを競い合うよりも、その先鋭化や暴走をいかに回避するかを考えてしまう。あるイデオロギーの無謬性を追い求めるよりも、その共約可能性を模索してしまう。イデオロギーとは人々が世界や現実、人生を意味づけ生き抜くうえでの「道具」に過ぎず、その絶対性や真性性を問うことは不毛だと考えるからである。世界や現実、人生のグレーゾーンやパラドックスを直視しつつ、そのなかにいかに二項対立を超える解や和解を紡ぎ出してゆけるか。その模索に私自身の――少なくとも近年の――知的関心の源泉があるように思う」(pp.202-203)