不断に生じる境界線の再編

〈文化〉を捉え直す――カルチュラル・セキュリティの発想 (岩波新書)

「米国人の社会学者があるセミナーで吐露したエピソードは興味深い。少年期にハバナキューバ)からマイアミ(米フロリダ州)に移住した彼は、ずっと「よそ者」感覚に苛まれ、全米有数の大学で教鞭を執り始めてからも、自らを「キューバ人」と紹介し続け、「米国人」と称したことは皆無に等しかった。しかし、二〇〇一年の米同時多発テロの直後、自分が“We Americans”と知らず知らずのうちに発していることに気付き、驚愕したという。テロという外的に晒されることで、無意識のうちに「米国人」というアイデンティティが生起したわけである」(pp.161-162)

 

「何かしらの出来事を契機に自己認識が変容する――ないし再構築・再編集される――ことは決して珍しくない。例えば、海外経験を通して祖国愛に目覚める者もいれば、逆に、祖国を疎んじるようになる者もいる。ナショナリストとインターナショナリスト、あるいはコスモポリタンを分岐する「交叉点」は想像以上に脆いのかも知れない」(p.162)