警察当局の大失態

オウム真理教事件とは何だったのか? 麻原彰晃の正体と封印された闇社会 (PHP新書)

一橋文哉『オウム真理教事件とは何だったのか?』PHP新書、2018年より

山梨県上九一色村の第七サティアン周辺で九四年七月頃から度々、異臭騒ぎが起きていることを知った神奈川県警の捜査員は密かに越境捜査を行い、教団施設の張り込みや内偵捜査を続けた結果、教団が自ら製造工場を設け、サリンを製造しているとの確信を得た。そこで警察庁に報告し、強制捜査に乗り出す構えを見せたが、警察庁からなかなかゴーサインが出なかった。その最大の理由は、松本サリン事件は長野県警が捜査を担当するなど縄張りを調整するのに手間取ったうえ、神奈川県警の管轄圏内には直接、サリンにかかわる事件が起きていなかったことが大きな障害となった。そして、警察庁が神奈川、長野両県警をはじめ、警視庁などとの広域捜査を検討し、連携や調整を図っているうちに、地下鉄サリン事件が発生してしまったのである」(pp.80-81)

 

長野県警は神奈川県警に先立って、警察庁強制捜査の打診を行ったが、警視庁をはじめ他警察本部との縄張り争いや公安警察との確執から許可されず、こちらも調整に手間取るうちに地下鉄サリン事件が起きてしまったという」(p.82)

 

「一方では上九一色村の教団施設を抱え、そこで教団がサリンを製造していたのに何も動けなかった山梨県警。九〇年頃に熊本県波野村(現・阿蘇市)に進出したオウム真理教をいち早く調べていながら、教団武装化の兆候を見落とすなど捜査に後手を踏んだ熊本県警……。これらの県警が警察庁を通して緊密に情報交換していれば、また、警察庁が強力な指導力を発揮して広域捜査に乗り出していれば、地下鉄サリン事件は防げたかも知れないだけに誠に残念でならない」(p.83)

 

「かくして小さな失敗を続け、それらが積み重なって地下鉄サリン事件警察庁長官狙撃事件、村井秀夫暗刺事件という大失態に繋げてしまった警察当局は、麻原を無事逮捕したことで何とか面目を保ったものの、まさに治安維持や事件捜査の組織としては崩壊寸前であったと言わざるを得ないだろう」(p.84)

 

「二〇一八年現在、オウム真理教の後継を名乗る団体が一千六百五十人ほどの信者数とはいえ、今なお麻原彰晃肖像画や書物を掲げて活動を続けているという事実が存在する。地下鉄サリン事件から二十年以上が経ち、オウム事件のことを直接知らない若者も増えている。そうした中で今、オウムの教義が密かに複数の大学構内に浸透しつつある実態を見逃してはいけない」(p.84)