岩波茂雄(岩波書店創業者)の「社会関係資本」

教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)

竹内洋教養主義の没落:変わりゆくエリート学生文化』中公新書、2003年より。

 

 資本とは価値増殖の過程である。貨幣という経済資本や教育訓練による人的資本、教養のような文化資本もある。人的資本が個人に、文化資本が家庭や学校に埋め込まれているときに、社会関係資本は、友人や知人などの社会関係に埋め込まれていて、社会関係をつうじて得られる資源である。「相互認識(知りあい)と相互承認(認めあい)とからなる、多少なりとも制度化されたもろもろの持続的な関係ネットワークを所有していることと密接にむすびついている、現実的ないしは潜在的な資力の総体」(ピエール・ブルデュー「『社会資本』とは何か」『アクト』第一号、一九八六年)である。(p.143)

※強調は原文では傍点

 

 大事なことは、「何を知っているか」(what you know)ではなくて、「誰を知っているか」(who you know)であるといわれることに含意されている資本である。しかし、社会関係資本は、経済資本や人的資本のように、収益を見込んでの意図的投資によってよりも、同窓や同じクラブのメンバーであることなどに付随して発生することが多い。情報の流れの促進や口添え、後ろ盾、社会的信用証として作用し、経済資本や文化資本の倍加因になるが、同時に、人間関係ネットワークをひろげ、自己増殖もする。(p.143)

 

 岩波茂雄については、「一流の人物を嗅ぎ出す直覚力」が鋭かったといわれることが多い。岩波にそういう「直覚力がそなわっていた」ことは事実だとしても、それだけでは、本質主義(素朴人間主義)的解釈である。岩波の「直覚力」は、一高や東京帝大の同窓人脈という関係のネットワークの中で培われ、磨かれたものである。実際、原稿が持ちこまれると、岩波は、信頼するキー・パーソンに評価を仰ぐことが多かったのである。岩波茂雄の名補佐役であり、女婿だった小林勇はつぎのように書いている。

「出版社に働いている者が、皆いろいろの知識があるわけではない。むしろ何にも知らぬ連中が集まっていると思っていい。それでは出版する本の選択などどうするのだという疑問が起ると思う。そこで出版者の人柄が問題になる。出版者は謙虚で誠実でなければならない。利益追求をしてはいけない。こういう基本的なことを守っていれば、たとえ自分に知識学識がなくても人が助けてくれる。優れた人の意見を引出し実行さえすれば、あらゆる分野に秀れた顧問友人が出来る。

 岩波茂雄はそういう条件をもった人であった。私は若い時からおぼろげにそう考えていた」(pp.143-144)