「知識を求める心が、愛情を求める心を排除してしまうことがあまりにも多い」

 

アルジャーノンに花束を〔新版〕

ダニエル・キイスアルジャーノンに花束を[新版]』ハヤカワ文庫、2015年より。

 

 この小説に出てくるあの光景、皿を落として割ってしまった知的障害のある給仕を食堂(ダイナー)の客たちがあざわらったとき、チャーリィが激昂したあの場面を思い出していただければ、私があのような残酷で無情なひとびとについてどう感じているか、おわかりいただけると思います。知能というものは、テストの点数だけではありません。

 他人に対して思いやりをもつ能力がなければ、そんな知能など空しいものです。人間のこの特性を欠いているひとびとは、残忍な嘲笑と空威張りの仮面のかげに隠れるものです。(p.4)

 

 チャーリィはこう述べている。「知能は人間に与えられた最高の資質のひとつですよ。しかし知識を求める心が、愛情を求める心を排除してしまうことがあまりにも多いんです……これをひとつの仮説として示しましょう。すなわち、愛情を与えたり受け入れたりする能力がなければ、知能というものは精神的道徳的な崩壊をもたらし、神経症ないしは精神病すらひきおこすものである。つまりですねえ、自己中心的な目的でそれ自体に吸収されて、それ自体に関与するだけの心、人間関係の排除へと向かう心というものは、暴力と苦痛にしかつながらないということ」(p.8)

 

 おそらく彼はこう示唆したいのだろう。つまり、知識の探求にくわえて、われわれは家庭でも学校でも、共感する心というものを教えるべきだと。われわれの子供たちに、他人の目で見、感じる心を育むように教え、他人を思いやるように導いてやるべきだと。自分たちの家族や友人ばかりではなく――それだったらしごく容易だ――異なる国々の、さまざまな種族の、宗教の、異なる知能レベルの、あらゆる老若男女の立場に自分をおいて見ること。こうしたことを自分たちの子供たち、そして自分自身に教えることが、残虐行為、罪悪感、恥じる心、憎しみ、暴力を減らし、すべてのひとびとにとって、もっと住みよい世界を築く一助となるのだと思う。(p.9)