古矢旬『アメリカ 過去と現在の間』書評

アメリカ 過去と現在の間 (岩波新書)

アメリカ 過去と現在の間 (岩波新書)

かつての岩波新書は、その道の権威である学者や知識人が、その該博な知識のほんの一部分を一般大衆のために「御下賜くださるもの」という性格を持っていたように思う。丸山眞男の『日本の思想』や大塚久雄の『社会科学の方法』などはまさにそんな感じの本だろう。しかし最近では新書全体に占めるジャーナリスティックな時事問題解説ものの割合が高くなっており、かつての新書とは大きく性格を異にするようになっている。しかし本書からは、アメリカ政治外交史の学究が、その膨大な知識の一部を一般向けにわかりやすく書いたものという印象を受ける。


あるレビュアーは本書に対して「アメリカのアカデミズムでは通用しない」と批判しているが、アカデミズムの最先端で通用させようと思って新書を書く人などいないのではないだろうか。もちろん例外もたくさんあるだろうが、基本的に新書とは、その紙幅の限界などもあって、アカデミズムにおける共通了解を一般向けにわかりやすく解説するという性格を有していると思う。現にアカデミックな論文で新書を引用するというのはほとんど稀であることからもそれは明らかである。時事問題に対する歴史的な裏づけを提示し、アメリカ史への興味と理解を深めさせる本書のような啓蒙書はもっと世に多く出るべきである。(著者のアカデミックな業績をフォローしたいのであれば、『アメリカニズム――「普遍国家」のナショナリズム』(東京大学出版会、2002年)のほうを参照すべきである。)


本書は、現在のアメリカで表面化している(と多くの人がみなしている)5つの現象に対して、歴史学的なアプローチを試みたものである。その5つの現象とは「ユニラテラリズム」「帝国」「戦争」「保守主義」「原理主義」である。これらすべての現象について著者が試みようとしているのは、「どこからが新しいもの(現ブッシュ政権に特有のもの)で、どこからが古くからのもの(アメリカ史にその起源を見出せるもの)であるか」を見極めることである。そして、言うまでもなく、力点は後者――歴史的に遡って起源を見出せるもの――のほうに置かれている。


確かにアカデミズムの世界では、新たな情報や視点は本書の中には見出せないだろう。しかしながら、現ブッシュ政権単独主義的対外政策に驚き失望している人が多い中で、「そうした対外政策(とそれを支える思想)の事例はアメリカ史の中にすでに多数存在しており、むしろ伝統との整合性により着目すべき」と論じることの意義は小さくないと思う。とりわけ第4章の「保守主義」においては、もともと定義が曖昧な「保守主義」という概念を、「ヨーロッパからの継承」という側面と「アメリカの建国以来新たに付け加えられた特徴」という側面から分析し、時代とともに「保守」の意味するものが変化してきた様を歴史的に解説しているのは、近年のネオコン共和党右派に対する単純な見方を修正させる啓蒙的意義を有していると思う。これは「安全保障」という概念と全く同じことなのだが、「保守主義」を論じる時には、「何を何から保守するのか」という視点を常に持っていなくてはならないと思う。


では、近年いくぶん歪められた注目を浴びている「ネオコン」という集団は、「何を何から保守」しようとしているのか。どういう意味において、彼らは「保守」なのであろうか。伝統的な保守主義の定義からすれば、彼らの思想はそれと真っ向から対立しているような印象を受ける。


本書の議論に沿って言えば、新保守主義者(保守主義Ⅳ)は、ヨーロッパ的な伝統や共同体の価値、道徳を重視する立場(保守主義Ⅰ)への回帰という側面を持ちつつも、それは単なる回帰ではなく、「持てるもの」の立場から市場主義の「保守」を奉じた立場(保守主義Ⅱ)と共産主義の脅威に直面してアメリカ的価値観の保守を誓った立場(保守主義Ⅲ)を包含した上での「回帰」なのである。よって、新保守主義者は、道義主義、反近代主義というⅠの立場が有していた思想に戻りつつも、市場原理主義反共主義のもつ戦闘性をも体現した思想集団であり、かつそれが政治化して現在のネオコン集団となったと考えられるだろう。


本書からは本当に多くのことを学んだ。自分は書評を書く前に必ず内容のまとめをするのだが、今までに新書で内容のまとめにここまで時間をかけたものはなかったと思う。アメリカ史の奥の深さを痛感するとともに、それが最新の時事問題にも大きく関係していることを改めて知ることができた。著者のさらなる活躍を期待したい。