「匿名で発言するよりももっと面白いことが世界にはある」(押井守)

 

押井守『凡人として生きるということ』幻冬舎新書、2008年より。

 自分の作品に対する世間の評判にしても、筆者が正体を現わさない批評に耳を傾けるつもりはない。だが、ネットで発言したい人がいることは理解できる。それこそが、「社会につながりたい」「社会に対して何か発言したい」という、社会的動物である人間の根源的欲求だからだ。

 ただ、言いたいのは、正体を隠してネットで発言するより、もっと面白いことがこの世界にはあるはずだよ、ということだ。ハンドルネームで正体を隠したどこかの誰かでなく、ちゃんと自分を自分として認めてもらえる世界があるのだ。

 ネットで何かしらの発言をして、それが話題になったり、人を傷つけたり、喜ばせたりしても、それは社会性を身につけたというのとは次元の違う話だ。社会性というのは、自分の名前と顔をさらして生きて行こうという決意のことだからである。

 匿名で意見を発表して、何らかの影響を社会に与えたと満足しても、本書の文脈で言えば、その行為はまだ社会性を保留しただけに過ぎない行為だ。自分はいつでも社会とつながれるという幻想を持っているだけで、実際に社会性を身につけたわけではない。(pp.122-123)