「労働者は自分の仕事を減らすために努力する」

幻冬舎のサイトに載っていたマルクスの『賃労働と資本』のレビューが面白かったので、備忘録に残しておきます。 

賃労働と資本 (岩波文庫)

坂口孝則カール・マルクス『賃労働と資本』で気づく 日本人の給料が上がらないのは牛丼が安いままだからかもしれない」より。

https://www.gentosha.jp/article/14844/

 

特に以下の箇所は、自分が今やっている仕事の質についていろいろ考えさせられる。

 

私は、マルクスのこのような記述に驚かされる。というのは、マルクスは、そもそも労働者が搾取される存在であることを嘆くだけではなく、資本家同士の争いについても書くのを忘れていない。

<生産様式、生産手段はたえず変革され、革命されるのであり、分業はより進んだ分業を、機械の使用は機械のより進んだ使用を、大規模な作業はより大規模な作業を、必然的に生ぜしめるのである(P77)>

<工場は、機械によって免職された一人の男子の代わりに、おそらく三人の子供と一人の婦人とを雇うであろう! (中略)空高くさし延ばして仕事を求める腕の森はますます繁ってゆき、腕そのものはますます痩せていく(引用者注:このような詩的な表現がマルクスの魅力だと思うが、さほど語られない)(P83、P84)>

<資本家たち相互間の産業戦(中略)の特色は、労働者の募集によってよりもむしろ解雇によって勝利が得られるということである。将軍たる資本家たちは、相互に、誰が最も多く産業兵卒を駆除するかを競争する(P81)>

こう考えてみよう。企業は従業員を雇う。そこで生産効率性をあげさせ、そしてマニュアル化を徹底する。ノウハウをため、それが作業標準書などに具体化される。そうすれば、あとはロボットでも、あるいは他の機械に代替させることによって、労働者を代替できる。労働者は、すなわち自己の仕事を減らすために努力するのであって、その先にあるのは自分の労働の消滅すだ。さらに昨今では、AIやRPA(業務自動ロボット)などがトレンドだ。むしろ、マルクスの予言は正しかったのではないか? 

マルクスは、現状分析から社会主義の実現、共産主義の国家を目指した。しかし、ソ連などの失敗をつぶさに見たいま、私たちはその解決策を採用するわけにはいかない。

ただ、労働が疎外され、そして、一人ひとりの匠の技を使うものづくりが再度、脚光を浴びているのは、おなじくマルクスが幻影のようにただよっているように思う。あえて抽象的に書く。一人ひとりが丁寧な仕事を重ね、そこから自分と社会のつながりをつむいでいくこと。

これが大切になってくるに違いない。