道徳的な基盤を守る「積極的な政府」

大統領とリーダーシップ (アメリカ史のサイクル)

大統領とリーダーシップ (アメリカ史のサイクル)

A・M・シュレシンジャー『アメリカ史のサイクルII――大統領とリーダーシップ』(猿谷要監修、高村宏子訳)パーソナルメディア、1988年より。

生まれや富によって人生の平等の機会を否定されている人びとの苦しみや、それゆえの反発と革命を希望する熱意を、少なくするための社会的リベラリズムによる運動が、資本家の抵抗に逆らって開始されたために、資本主義が生き残ってきたのである。マルクスが見越すことができなかったことは、民主主義の国家にこの社会的責任感を養う能力があるということである。(39頁)

社会的良心は自由な社会の救済手段であった。そして、積極的な政府が発展した最後の理由は、それが社会秩序の道徳的基盤を守るからである。トクヴィルを最も悩ませたのは、社会秩序が私利私欲の原理によっている場合に起こる堕落した結果であった。彼は強制的な手段を与えるために宗教を頼りにした。アダム・スミスもまた、個人的利益は道徳的関係において機能する、と考えた。そして、『国富論』は『道徳心の理論』によっていたのである。しかし、宗教が衰退し、個人的利益を至上のものとするようになると、市場体制がその道徳的基盤を浸食し始めた。フレッド・ハーシュがこれまで論じていたように、個人的利益に対する信仰は、より長期的でより大きな視野を疑うことによって、市場体制から道徳的な基盤を奪ってきたのである。「宗教や社会状況はもはや未来への希望を示すことで人間を鼓舞できなくなっているが、その未来を人びとが愛することができるよう、政府は努めなければならない」。トクヴィルはずっと以前にこう予測して書いている。(40-41頁)