夏目房之介『漱石の孫』(実業之日本社、2003年)書評
- 作者: 夏目房之介
- 出版社/メーカー: 実業之日本社
- 発売日: 2003/04
- メディア: 単行本
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (19件) を見る
著者はむしろ漱石の孫という「特殊な立場」をうまく用いて、自己のアイデンティティの確立や親子関係などのような、一般的・普遍的なテーマについて書いている。その点をうまく掬い取れなければ、本書の面白みは理解できないと思う。著者は、漱石(または父・純一)と自分を比較しながら、次の三点で普遍的な教訓を探ろうと試みている。
①近代的自我の確立。 ②父親と息子の葛藤。 ③普遍的な文学理論。
第一に、「近代日本における自我」(77頁)の確立が知識人の課題であった100年前の漱石の時代と、その近代的自我が「薄く広く大衆のものとなっていた」(同)著者の青年期とでは、時代が要請する課題は全く異なっていた。
かんたんにいえば、漱石の時代には自我の輪郭や近代的枠組みの「建設」が必要だったが、それがむしろ邪魔なカッコになったのが僕の時代だったのだ。(78頁)
第二に、「20代の時間を父を受け入れることに費やし」(30頁)た著者の、父親との葛藤と、当時の父と同じ年齢になった時の父に対する一種の共感についてである。
第三に、普遍的な文学理論の構築に挫折した漱石の苦悩に対する、著者の同情についてである。これは第一の近代的自我の確立と関わっていることだが、西洋から輸入した概念を自分の文化圏に適用させるための普遍的な理論の構築はかなり無謀なことであったにも関わらず、それは近代化の道を歩み始めた小国の知識人にとって避けることのできない課題であった。イギリス留学中に神経衰弱に陥ってまでそれを追求した祖父に、著者は同情の念を示している。
以上の点で、現代に生きる人間が、著者や漱石の心情に共感を覚えたり、時代の違いから来る苦悩の差に思いを致すことができれば、このエッセイの味わい深さが感じられるのではないだろうか。