創造的な「いたずら者(トリックスター)」になれ


中沢新一山口昌男さんを悼む 知の世界 笑って揺らした」(朝日新聞2013年3月12日)より。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201303110712.html?ref=pcviewer

私たちの世代にとって、山口昌男はじつに偉大な解放者だった。1970年代、世の中ではきまじめであることが美徳とされ、自分のしていることは正しいと誰もが思いたがっていた。その時代に山口昌男は知識人たちに向かって、そんなつまらない美徳は捨てて、創造的な「いたずら者」になれ、と呼びかけたのである。

山口昌男の大胆不敵な行動力には、もっと驚かされた。北海道生まれの彼は、土地の呪縛からも十分に解放されていて、アフリカでもメラネシアでもヨーロッパの片田舎でも、世界中どこへでも平気で出かけていき、土地の人たちとも世界の知的巨人たちとも、まったく物怖(ものお)じすることなく、対等に渡り合うことができた。
相手がレヴィ=ストロースだろうがロマン・ヤコブソンだろうが、あの恐ろしい発音でまくしたてる英語やフランス語で、堂々と対話や論戦を申し込んだ。すると知の世界の巨人たちは、その自信たっぷりの勢いに気おされてか、喜んで胸襟を開いたのだった。この点でおよそ日本人ばなれしていた山口昌男の辞書には、「コンプレックス」という言葉はなかった。
とにかくよく笑う人だった。とりわけアカデミズムの権威などを前にすると、ますますよく笑い、からかい、そのために相手を怒らせることもしばしばだった。笑う山口昌男のまわりで、世界はいつもダイナミックに揺れていた。
世の中が安直な笑いであふれかえり、矮小(わいしょう)化された「いたずら者」が跋扈(ばっこ)する時代になると、さすがのこの人も不調に陥った。ところがしばらくすると、今度は「敗者」に身をやつして再登場したのにはたまげた。負け組のほうが豊かな人生が送れるぞ。マネーや力の世界への幻想を嗤(わら)う、なんともエレガントな闘いぶりであった。