日本人の加害者意識・被害者意識について(柄谷行人)

忘却のしかた、記憶のしかた――日本・アメリカ・戦争

忘却のしかた、記憶のしかた――日本・アメリカ・戦争

9月29日の朝日新聞書評欄、柄谷行人の書評より。

著者の『敗北を抱きしめて』は、占領下の日本社会について包括的に書かれた最良の書である。この本は米国でピュリツァー賞を受けたが、イラク戦争で日本占領経験を引き合いに出した当局がこれを読んだはずがない。著者の考えでは、イラクは日本と似ていない。むしろ、国連に反して単独で中東に攻め入った米国こそ、満州事変から十五年戦争の泥沼に入っていった日本に似ている。一方、この本は日本でよく読まれたと聞いているが、近年の状況を見ると、広範に読まれたとはとうてい思えない。政治家や官僚がこれを読んでいないことは、確実である。

日本人は戦時の侵略と残虐行為をみとめることができずにいる、という見方が米国でも広がっている。しかし、著者は、米国で原爆投下に関する展示が中止されたとき、それに抗議し、アメリカ人が日本人の「歴史的忘却」を非難する資格はない、という。米国が原爆投下に関して、それを残虐行為としてみとめたことは一度もない。さらに、日本で戦争責任の問題があいまいにされるようになった原因は、そもそも、政治的な理由から、天皇の責任を不問に付した米国の占領政策にある。最も責任のある者が責任を免除されたのだから、責任という語は空疎となるほかない。

著者は、日本人が戦争に対して強い被害者意識をもつが、加害者としての意識をもたないという心理を分析している。しかし、これも戦後一貫してそうであったかのように考えるなら、自他ともに誤解を与えるだろう。著者の指摘によれば、1994年の調査で、質問された日本人の80%が、政府は「日本が侵略、植民地化した国々の人に、十分な償いをしていない」という意見に同意した。以来、支配層は、このような世論を変えるように操作してきたのである。特に、2012年以後にその策動が強まった。

本書では、日本を見ることが直ちに米国を、そして世界を見直すことになる。このような日本学者は数少ない。その中の一人、ノーマンについての論考を冒頭においた本書は、著者自身が歴史家としてそのような姿勢を貫徹してきたことを、見事に示している。