藤田節子『自分でできる情報探索』(ちくま新書、1997年)書評

自分でできる情報探索 (ちくま新書)

自分でできる情報探索 (ちくま新書)

乱読傾向のある自分は、体系的に知識を獲得することをいつも意識していなくてはならないと思う。行き当たりばったりで情報を獲得する方法、いわゆる「現物法」は、今までに考えつかなかったようなことについてインスピレーションを与える可能性があるという意味では、確かに重要なものかも知れないが、それだけでは体系的な知識を得ることはまず不可能である。「現物法」というのは、例えば自分が関心を持ったテーマについて関連する本を探そうと思った時、まずは近くの書店の本棚を見に行くといったような行為を指す。そしてそこで偶然に見つけた関連する(と自分が思い込んでいる)書籍から始まって、芋づる式に参考文献などを読んでいくという手順で獲得した情報は、かなり偏ったものになる可能性が高い。

しかし世のほとんどの人の情報収集とはこれと似たり寄ったりのもののはずだ、と著者は言う。自分が見つけたと思っている情報が、実はそのテーマ全体の位置づけではほとんど価値のないものであったりして、本来探していたはずの情報は、自分の行き当たりばったりの検索法では見つけることができないかも知れない。そこで著者は体系的な知識獲得のすすめを本書で展開するのである。
 言われてみれば別に特別な方法ではないように思えるのが、まずは公共図書館の百科事典にあたるというもの。著者はその過程をイルカについての情報を集めるという事例でわかりやすく説明してくれる。イルカに限らず、どのような情報であれ、こちらが調べたいことを分析して、そのテーマにとって重要な情報源に導いてあげることを生業とする職業がある。それが図書館司書とかライブラリアンなどと言われるものである。そしてそのようなプロを養成するための分野に情報図書館学というものがある。

こうしたプロの人たちは普通どの図書館にもいて、いわゆるレファレンス・サービスというのを行っている。「『五月一日という名字は何と読むのか』『世界遺産というのは、世界のどこにどんなものがあるのか』『わが国の野菜輸入量の変化を知りたい』といった、利用者のさまざまな情報探索の質問に答えてくれる、図書館ならばどこでも必ず行っている業務」(21頁)である。彼らが受ける訓練というのがまたすごい。「サバを読むというのは数をごまかすことのたとえに使われますが、なぜサバを読むというのでしょうか」「鳴子のこけしは他のこけしと異なる特徴があるそうですが、それは何でしょう」(23頁)などといった、雑学王でも知っているかどうかわからないような問題について、できる限り早く情報源を探し出してあげられるようにするのだという。体系的に知識を獲得するにはこのようなプロのサービスをうまく利用することも大切だろう。

体系的な知識を得るための最初のステップとして挙げられている百科事典は、基礎的な情報、さらには参照項目によって関連する情報まで幅広く獲得することができる。百科事典の参照項目によっていくつかの巻を調べるうちに、そのテーマについてかなりの知識が得られることに気づく。そこで基本的な知識を得たあとは、『日本書籍総目録』や『日本件名図書目録』を使って、関連文献をピックアップする。現在では図書館ではOPAC(Online Public Access Catalog)が主流となっている。

次のステップは、そのテーマに関して専門的な情報を蓄積している専門図書館や情報センターの所在を調べることである。その際には『専門情報機関総覧』『ライブラリーデータ』が便利である。またそこで知った団体については、『全国各種団体名鑑』でその団体の事業内容や刊行物などを調べることもできる。

ここまで来るとあるテーマについてかなり体系的な知識が備わってくる。そうなった上で最後にデータベースを使って、すでにリストアップしてあるいくつかの文献に加えて、さらに詳細な文献情報を調べる。

以上が、著者がイルカという具体的な事例を使って辿ってみせたプロセスである。このプロセスを辿ると、そのテーマについての全体像がかなりはっきりし、偏った情報収集や価値の低い情報を過大評価したりしてしまうといった致命的な過ちは避けられる。また調べる過程で次々に生まれてきた疑問についても、その答えが書かれている箇所を的確に探し出すことができる。このような情報探索法を、冒頭の「現物法」と対照的なものとして「索引法」と呼ぶ。

再度「現物法」をわかりやすく説明すると、これは文字通り現物にあたることである。前述の通り、体系的な知識を得るための最初のステップとして百科事典の活用が言及されていたが、この百科事典の活用においてもこの現物法と索引法の区別は存在する。例えば、イルカについて調べようと思っていきなり百科事典の「い」のところを探すというのは現物法である。そうではなく、百科事典の索引の巻で「イルカ」を調べると、イルカについて書かれている箇所がかなりあることに気づく。なぜこの索引法を用いるかと言うと、「イルカ」という語そのものや直接イルカについて言及している箇所はなくても、イルカについて重要な情報が載せられている箇所は沢山存在するからである。例えば、イルカとクジラは同じ種で、4m以下がイルカ、それ以上がクジラ、という区別を知っていた人はどれくらいいるだろうか。これは「イルカ」の項目だけではなく、「クジラ」の項目も見なくては分からない情報である。もちろん「イルカ」の項目に参照情報として、「クジラの項目も見るように」という指示が書かれているかも知れないが、参照情報というのは実際には無限にあるので、各々の項目だけで書き切れる参照情報は必然と限られる。情報探索においては「索引法」をメインに据えなくてはならない理由がここにある。

ただ、もちろんデジタル化できる情報が情報の全てではない。本の装丁に対する印象や本の感触、実際に手にとってパラパラとめくってみた時の感想などは数値化してデータベースに載せることは不可能である。だから情報探索においては、まず「索引法」でテーマについての体系的な知識を獲得してからのち、「現物法」によって言葉では表記できないような情報(「非言語系感覚情報」「非言語系潜在感覚情報」など。32頁図2を参照。)をも獲得する。「現物法」を行う際に、「索引法」による極めて論理的な検索では絶対にかかりようのなかった情報が、各個人へのインスピレーションという形で現れるかも知れない。結果的に著者が説くのは、「現物法は最後のスパイス」(120頁)としながらも、メインの「索引法」とそれをうまく結合させることなのである。