シュピルマン『戦場のピアニスト』(春秋社、2000年)書評&映画評

戦場のピアニスト

戦場のピアニスト

戦場のピアニスト (新潮文庫)

戦場のピアニスト (新潮文庫)

ナチス占領下のワルシャワで、ホロコーストを奇跡的に生き延びたユダヤ人ピアニストの戦慄すべき体験記である。それがどれほど「奇跡的」であったかは、ワルシャワに住んでいた36万人のユダヤ人のうち、ドイツ軍がワルシャワを撤退した後も生き残ったユダヤ人はわずか20人だったという数字だけを見てもわかる。その20人のうちの一人が著者のシュピルマンだったということになる。

本書は最近映画化され、三部門(主演男優賞、監督賞、脚色賞)で今年のアカデミー賞を受賞。映画はシュピルマンの著作に極めて忠実に作られ、また監督のロマン・ポランスキーが同じくホロコーストを生き延びたユダヤ人であるため、監督の体験と思いが強くこめられた作品になっている。

本書および映画の優れた点は、単純な善人悪人の区別を拒絶したところにある。当時はナチスに積極的に加担したユダヤ人もいたし、逆にホーゼンフェルト大尉のようにナチスの虐殺に憤激し、何人ものユダヤ人の命を救ったドイツ人将校もいた。どちらが良いとか悪いとかではなく、過酷な状況に置かれた人間がそれぞれにとった行動は全て、(ナチスホロコーストも含めて)人間性の表れだと言っているのである。(むしろ、だからこそ恐ろしいのだとも言えるが。)この映画の脚本を書いてアカデミー賞脚色賞を受賞したロナルド・ハーウッドが、「我々は皆、ただただ人間だ」というチェーホフの言葉を絶賛していることからも、この映画の本質が明らかとなる。(ハーウッド『戦場のピアニスト』新潮文庫、2003年、254〜255頁)

映画の終盤で、ホロコーストを生き延びたシュピルマンが、戦後にラジオの放送局で演奏の仕事を再開するシーンがある。ヴァイオリニストでシュピルマンの友人のレドニツキがそこに現れる。ガラス窓越しに微笑みを交わす二人。そしてその直後二人は真顔に戻り、生きて再び会えた喜びと全ての家族を失った悲しみを噛み締める。シュピルマンは映画の冒頭で弾いていたのと同じショパンの哀愁漂う曲(夜想曲第20番嬰ハ短調(1830)[遺作])を弾きながら涙ぐむ。

なんて美しいシーンだろう…。本当に美しい。美しく哀しい。世にはびこるどんな虚しいLove & Peaceの声よりも、生の喜びと悲しみに溢れている。小説『GO』で主人公の杉原は「『ゴッドファーザーPARTⅡ』の冒頭で、アメリカに上陸したばかりの幼いビト・コルレオーネ(のちのゴッドファーザー)が、エリス島から自由の女神を眺めているシーンは、僕がこれまで観てきた映画の中で、一番美しいシーンだった」(『GO』124頁)と言っているけれど、このシーンも負けず劣らず美しいと自分は思う。

一つ気になったのは、圧倒的な暴力からユダヤ人が得た教訓についてである。藤原帰一『戦争を記憶する』(講談社現代新書)で言っていたことだが、ホロコーストからユダヤ人(またはアメリカ人)が得た教訓は、「悪を前にした時は武器を取って戦わなくてはならない」だった。ポランスキー監督も、「『戦場のピアニスト』は音楽の持つ力、生きようとする意志、悪に立ち向かう勇気の証である」と言っている。(原文は、“The Pianist is a testimony to the power of music, the will to live, and the courage to stand against evil.”)(下線評者)

一方、日本人の多くが原爆による大量殺戮から得た教訓は、「全ての戦争は悪である」だった。アメリカ人と日本人とではこの映画から受ける印象も全く異なるのかも知れない。前者は「悲劇と狂気に立ち向かう勇気」のほうに着目し、後者は「悲劇と狂気そのもの」に着目する。イラク戦争の是非について、マイケル・ムーアのようなアメリカでの少数派の言説が日本で人気があるのも、この戦争観の違いから来るのだろう。

もちろん観る(読む)側の戦争観が違うからといってシュピルマンの著作と映画の価値が減ずるはずもない。史上最悪の狂気を繰り返してはならないというメッセージは十分に伝わっているし、誰が観ても(読んでも)感動できる素晴らしい作品だと思う。