大江健三郎『私という小説家の作り方』(新潮文庫、2001年)書評
- 作者: 大江健三郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2001/03/28
- メディア: 文庫
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「なぜ自分が書かねばならないのか」に思い悩んでいる人に対して、著者は優しく反問する。
すでに小説はバルザックやドストエフスキーといった偉大な作家によって豊かに書かれているのに、なぜ自分が書くのか?同じように生真面目に思い悩んでいる若者がいま私に問いかけるとしよう。私は、こう反問して、かれを励まそうとするのではないかと思う。すでに数えきれないほど偉大な人間が生きたのに、なおきみは生きようとするではないか?(85頁)
恐らく著者もまた、若い自分にこう問い返し続けてきたに違いない。
* * * * *
ここまでは過去に書いた書評である。しかし今(2004年12月26日)内容に目を通し直してみると、まだ触れていない重要な点がいくつもあることに気づいた。それくらいこの本は奥の深い本である。テーマ別にしてみる。
■三振あるいはファウルを打つような読み方
しばしば考えることだが、読書には時期がある。本とジャストミートするためには、時を待たねばならないことがしばしばある。しかしそれ以前の、若い時の記憶に引っかかりめいたものをきざむだけの、三振あるいはファウルを打つような読み方にもムダということはないものなのだ。(74頁)
ムダな読書の擁護をこのように表現する方法もあったかと思わせる表現である。特に「若い時の記憶に引っかかりめいたものをきざむ」というのは言いえて妙である。この記憶の引っかかりは、確かに重要である。それは次の「引用について」と深く関係していて、表現とは引用の、著者の文章にならってもっと言えば、他人との言葉の共有であるにすぎない―「すぎない」と言ってよければ―からである。
■引用について
本来、言葉とは他人のものだ―こういいきるのが過激すぎるなら、すくなくともそれは他人と共有するものだ―。(中略)そういえば、すべての小説も詩も、他人との共有の言葉によって、つまり引用によって書かれてきたのだ。私が若い年齢での文学生活の初めから引用を大切な方法と考えてきたのは、方向として正しかったと思う。もちろん、こういう発想はすでに数知れぬ人たちによってなされてきたはずで、こう書きながらも、私は意識しないまま引用をしているはずなのである。(115〜116頁)
丁寧な読書、特に自分が気に入った箇所の表現は何度も繰り返して読んでみる、またはノートに取るということの大切さは、この「引用」が果たす人間の思考への根本的な重要さから来ていることに気づかされた。確かに自身が書く文章や使う用語は、今までその人自身が読んできた文章に影響を受けているものである。たとえそれが無意識のものであったとしても。それは自分のオリジナル性への失望を意味するのではなく、他者との言語の共有に対する深い喜びへとつながるべきものである。
■表現するということ
表現することは、端的に新しく経験すること、経験しなおすこと、それも深く経験することだ。(140頁)
全くそのとおりなのである。そしてその表現のために言葉―すなわち表現の道具―を探すことは、本来、実際の経験と深く関わりを持つことなのである。本ばかり読んでいては現実軽視の頭でっかちになるというのは、深く広く思考する者への、それができない側の恐怖が生み出したくだらない俗説にすぎない。
文章を書く時、自分は言葉によるモデルを造っているのだ。つまり私は山の上に苦労して攻め登って行くのでもなく、こちらの高みから弓矢で狙いすますというのでもなく、言葉によって、解くべき主題、表現すべき状態のモデルを作ろうとしているのだ。そのモデルが、城を攻め破って獲得するもの、あるいは谷をへだてて射とめるものと、おなじ核心であることをめざす。そのようなモデル造りがなしとげられた時、私は十全な表現をなしとげている。この考え方は、仕事を始めた若い小説家としての私の準則となった。それは片方で、表現は対象を実際にとらえることではない、言葉によるモデルを造ることにすぎないとあきらめる仕方で考えることであった。つまり私は本当の獲物を捕えてくるかわりに、言葉で獲物のモデルを作っている、机上の狩猟家なのだ。その狩猟の経験をかさねるうち、私は初めにいったようなことをあらためて確信するにいたったのである。書かれた小説はすべてフィクションにほかならない。(147〜148頁)
「机上の狩猟家」か…。このモデル作りというのは、「小説はインスピレーション」というもう一方の俗説を完全に否定するものであることがわかる。
巻末の解説で、沼野充義がこのモデル作りについてさらにこう言っている。
ロシア・フォルマリズムは、それまでロシアで一般的だった思想的・人生論的な文学の読み方から読者を解放し、文学作品はまさに「作られる」ものであり、そこには形があり、それは科学的に分析が可能だということを示してくれた。(193頁)
かつて、大学受験を控えていた頃、論理的な文章についての問題は勉強可能だが、小説についての問題は勉強不可能というまことしやかな俗説をいくぶん信じていた自分がいたが、それも所詮は根拠のないものであったことに気づく。小説の「作られ方」は「科学的に分析可能」であり、アカデミックな論理的分析を可能ならしめるものである。少なくとも大江健三郎はそう考えている。だからこそ、インスピレーションなどという不安定なものをあてにするのではなく、地道な「滑走路作り」を自身の仕事の中心と位置づけてきたのである。「ロマンティックな空想家」ではなく、「粘り強い机上の狩猟家」という小説家のイメージが自分の中でできあがった。
■書くことがなくなって国を憂える言論を始める日本の「知識人」
この国では、決して大きい仕事をなしとげたとはいえない歴史学者や文学研究家、国家の芸術機関の権力者でもある作家などが、その晩年に、国を憂える言論を始めてベストセラーにすらなることがある。それはケナンやトムソンやトーマスが、世界を憂えることで地道な本を書くのと逆だ。そういう新出来の愛国者を待ち迎える傾向は、この国のナショナリズム肥大化の勢いのなかでさらに栄えることだろう。それは、すでに国内でのみならず海外から見ても、新しく奇怪な日本人像を提供する役割もはたしている。それらを見て気がつくのは、老齢に達して遺言のようにであれ、国を憂える文章を書かずにはいられないという動機づけが、ことごとくウソだ、ということなのだ。かれらは自分の本来の仕事において、書くことがなくなったにすぎない。それはつまり、かれらの生涯の仕事が、本質的な積み重ねとそこからの自然な結実に無縁なものだったことをあかしだてる。あなた方が国を憂えるのもいいが、それよりもっとやらねばならぬことがあるのではないか?あなた自身を―その魂を、とまではいわないけれど―憂えることもしなくてはならないのではないか、あなたのいうとおりもう持ち時間は少ないのだから!(185頁)
これは大江健三郎らしい文章である。憂国の書を書く人がみな、書くことのなくなったつまらない人間であるとは言えないだろうが、大半はその通りなのかも知れない。根底から批判される恐れもなく、それなりに知識人としての風采を保てる「国を憂える」という行為は、知的活動の終焉を認めることのできない人たちの便利な逃げ道であるとは、見えにくい現実を見事に看破している。