町田健『まちがいだらけの日本語文法』書評

まちがいだらけの日本語文法 (講談社現代新書)

まちがいだらけの日本語文法 (講談社現代新書)

勉強を教えている中学生が国文法が苦手だと言うので、読んでみることになった。そして読後、この中学生が国文法はよくわからないという意味がよくわかり、同情すら感じた。この教え子は文節の区切り方がよくわからないと嘆いていたのだが、「文を文節に区切るのは、これは文なのだ、そしてお前に日本語がわかるんだったら、どういうふうに区切ればいいのかも自然にわかるはずだ、と言いながら、定義のあやふやないくつかの部分に分けるだけのことなのです」(26頁)という本書の指摘からすれば、そのような嘆きも致し方のないことである。そして、そもそも、どうしてそんな曖昧な定義しかないものを問題にして中学生に解かせるのかと大いに疑問を感じさせられたのだった。

その他にも、英語や日本語などで語順が違うのは、それぞれの言語の中では、その語順が最も事柄を伝達する効率性が高いからだと考えられるという本書の指摘は面白い。話し言葉であれば、短い時間で効率のいい情報伝達を要求されるであろうから、なおさらこの語順は重要性を持つのかも知れない。

日本の国語学者ソシュールの学説を誤まってあるいは不十分に解釈して、その結果現在の曖昧な日本語文法の説明が生じたという著者の意見は、もう一度ソシュールをきちんと検討しなおす必要性を強調するものである。構造主義に大きな影響を及ぼした学説としてのより包括的な再検討の重要性はもちろん、足元の日本語文法教育においてもソシュールのやり直しが必要であることが本書で明らかとなった。