小谷野敦『評論家入門―清貧でもいいから物書きになりたい人に』書評

『バカのための読書術』以来、すっかり小谷野敦のファンになっている自分だが、本書でも相変わらず説得力のある論旨、胸のすくような批判の展開がなされており、小谷野の面目躍如といった感がある。

本書の主眼は、評論とはいかなるものであり、それは学問とどう異なるのか。そして評論家なる生き物の生態とはどのようなものなのか、に置かれている。実際に著名な文藝評論家の実名を挙げながら、小谷野から見て評価できるものと全くできないものの両方を紹介している。とりわけ重きが置かれているのは、「小林秀雄批判」(後述)と「柄谷行人日本近代文学の起源』批判」である。後半は「論争のすすめ」と簡単な論争の歴史が書かれ、締めは「エッセイストのすすめ」となっている。

まず、評論とは何か。それは、「往々にして、研究よりはやや雑な仮説を提示し、その上で時には自分の意見を述べるものである。」(28頁)

しかし、雑とはいえ、評論にも「論証」が必要であることに変わりはないと小谷野は言う。せめて「学問の八割くらいの感じ」(36頁)で書くべきだ、と。しかし、「地を這うように書かなければならない」(32頁)学術論文に比べて、評論は、「著者が直観を閃かせ、鮮やかと見える手際で謎を解き、それを飛躍した文章で読ませる」(同)ものであり、「だから読んでいて、はっ、と胸が躍り、目からウロコが落ちた気分になる。」(同)

学問に比べたら、評論は、多少論理の飛躍や意外な結末へと導く著者の豊かな想像力が表面に出てくるだろうが、そうだとしても、それは「論理的に」書かれたものであるべきというのが小谷野の立場である。

そしてまさしくこのような立場から、日本を代表する文藝評論家・小林秀雄への批判が展開されるのである。

「評論家」と言ったらどうだか知らないが、日本で「文藝評論家」と言ったら、小林秀雄である。他にも優れた文藝評論家はいるのに、小林は、文藝評論家の代名詞のようで、死後二十年たっているのに、今なお読まれている。けれど、私は小林秀雄が、いいとは思わない。と言っても、私もご多分に漏れず、若いころ小林の毒にあてられた一人である。その毒から抜け出せたのは、三十代半ばになってからだ。それまでは、「君の文章はまるっきり小林流だ」などと言われていたのだ。(65頁)

なぜ文藝評論家としての小林秀雄は評価できないか。小谷野は「小林がよくないのは、その文章の多くが、論理的に読めないから、ということに尽きる」(66頁)と言い、同じような立場から小林批判をした梅原猛の以下の論を引用する。

これ〔小林の文章〕は、はなはだ立派な言葉であるが、結局、政治家や商人の言葉で、学者や批評家の言葉ではないのではないか。(中略)たしかに小林氏がいうように対象に惚れなければ対象は分からない。認識には熱情が必要である。しかし、それと共に認識には冷たい理性が必要である。小林氏には対象を距離をもって眺めるというところがない。それは本当の学問でも批評でもない。(中略)この小林氏に対する私の批判は今も変わっていない。先頃書かれた氏の『本居宣長』も同じ方法で書かれている。本居宣長の思想が、それがどういう点で正しくて、どういう点がまちがっているか、氏はちっとも問おうとしない。そういう問題は、はじめから小林氏の眼中になく、ただ本居宣長の生きるポーズのようなものだけを問題とする。(初出一九七八、『学問のすすめ』角川文庫、一九八一)(67〜68頁)

小林の「対象に惚れ込む」姿勢はつとに有名だ。上の引用で出てくる本居宣長モーツァルトについての評論は広く読まれているものであるが、彼らについての評論を書いた時、小林は対象になりきってしまっていたという話を聞いたことがある。まるで本居宣長モーツァルトの魂が乗り移ったかのように。また、小林の病的なまでに桜を愛でる姿もよく知られている。しかし、「せめて学問の八割」としての論証を前提としない評論は評価に値しないという小谷野や梅原の立場からすれば、こうした小林の対象への没入は、文藝評論家として最も批判されるべき点になるのである。

小林秀雄の書いたエッセイで「美を求める心」というものがある。かつて自分もこれを読んだ時は、「なるほど、そんなものかなあ」と考えたものだが、小谷野に言わせれば、小林の「絵や音楽は、分かるものではない、感じるものである」という考え方は、「時代遅れの精神主義」以外の何物でもないのだという。

これは、小林のものとしては、読みやすい文章だ。けれど、やはり間違っている。小林は言う。最近、近ごろの絵や音楽が難しくて分からぬ、と言う人がいるが、絵や音楽は、分かるものではない、感じるものである。目や耳を鍛えることが大切だ。そして例のごとく、求道者風の言葉が続く。小林がここであげている「近ごろの難しい絵」の例は、ピカソである。(中略)歌舞伎批評の渡辺保は、「古典は難解で、退屈で、複雑で、晦渋なものである。……歌舞伎は私にとってあきらかに研究すべきものであって、楽しむべきものではない」と言っている(『歌舞伎―過剰なる記号の森』ちくま学芸文庫)。これこそ、まともな批評家の言である。美は、目や耳を鍛えればおのずと分かるとか、勉強したりするものではないなどというのは、現代の美学から言っても時代遅れの精神主義である。(68〜69頁)

もちろん、世の中の全ての書き物が論理的に書かれていなくてはならないという意味ではない。エッセイというジャンルは大体が思いつきや偶然の出来事によって書かれており、むしろだからこそ面白いとも言える。しかし、そのような書き方は、論証を必要とするアカデミズムには決して持ち込んではならないというのが小谷野の立場だ。

小林の気の利いた文章が、一般読者を楽しませている間は、まだいい。だがそれは、アカデミズムへ持ち込んではならないものだ。(中略)だが、極めて実証的な、小林とは無縁の研究に勤しんでいるような人でも、その求道者的な部分だけは、受け継いでしまっている場合がある。梅原は、「熱情が必要である」ことを認めているが、それすら私は疑わしいと思う。(中略)学問にとって必要な美徳は、勤勉と誠実であって、愛情や謙虚さではない。『バカのための読書術』でも書いたが、「事実」を「意見」によってねじ曲げてはいけないのだ。(69〜71頁)

そして小林秀雄を批判するのも、彼が評論の中で見せた「飛躍と断定」が、後世の物書きに与えた影響の大きさが尋常ではなかったからである。

よく「日本人は非論理的だ」などと言われることがある。けれど、古代から近世に至る広い意味での「評論文」を読んでいても、特にそれらが非論理的だとは思われない。(中略)日本人の書くものが非論理的になったのは、それこそ小林秀雄が「飛躍と断定」をもっぱらとする評論、エッセイを書き、それが多くの読者を獲得したころからのことなのである。(71頁)

まるで根拠がないのに、あたかも学問であるかのように装っている「学術文献」は世に多い。70年代以降の一時期流行した「日本人論」や「日本文化論」などはその類で、小谷野に言わせれば、それは「トンデモ評論の温床」(85頁)のようなものであった(例として、和辻哲郎『風土』、土居健郎『「甘え」の構造』、中根千枝『タテ社会の人間関係』、河合隼雄『母性社会日本の病理』が挙げられている)。そのような本の論証は、専門家でなければ到底できないようなものがほとんどであるので、学問的には明らかに間違っていても、世評は高いということが往々にして起こる。だから、小谷野が『軟弱者の言い分』の中で言っている通り、「仲間が多い人の文章」には警戒が必要なのである。以下の主張は、自分が小谷野から学んだ多くの箴言の中の一つである。

どれほどマスコミや有名文化人が支持しても、学問はそれとは別である。学問に限らない。多くの人が支持しているということは、その説の正しさの証明にはならないのである。(189〜190頁)

前半部分が「評論」および「評論家」について書かれているのに対し、後半は「評論家の行為」すなわち「論争」について述べられている。これがまた面白い。87年に始まった番組「朝まで生テレビ」や、90年代に入って小林よしのりのマンガ『ゴーマニズム宣言』とそれをめぐって起こった論争によって、論争そのものがまるで「薄汚く下品なもの」(163頁)と見られるようになってしまったという。さらに、かつて新聞紙上で「2ちゃんねるは「お子様大学生」や「成人式で暴れる若者」と同根」と切り捨てた小谷野は、論争をいっそう「恐ろしいもの」にしてしまったものとして、インターネット上における匿名の掲示板への書き込みを挙げている。

九〇年代半ば以来、パソコン通信やインターネットが普及しはじめると、そこでの「フォーラム」とか「掲示板」とかで名もない人々同士の論争が起こり、何しろこの媒体では、頭を冷やす暇もなく反論ができるのと、もともと活字を送信するというシステム自体が、人を感情的にする性質を持っているためか、次第に、品性も礼儀も何もない罵倒のやりとりが、一般人によって、公衆の面前とも言うべき場で行われるようになっていった。(163頁)

しかし本来論争とは――確かに神経をすり減らすようなものではあるが――評論家にとっては「勲章」(158頁)と言えるものであり、昨今のできる限り議論を避けようとする風潮は、「明らかに日本の学術の水準を下げている」(160頁)と小谷野は言う。そのせいで、批判にきちんと答えないまま自説を繰り返してしまったりしている人が時々いるが、それは先ほどの「多くの人が支持しているのを自説の正しさの根拠にする」ことと並んで、「ルール違反」(189頁)なのである。特に論争的な問題について何か自分の論を展開した場合は、批判にきちんと答える(あるいは間違っていたら正直に自分の過ちを認める)というのは、学問に携わる者のみならず、知的活動をする者の最低限のマナーだと思う。

小谷野からは、学問に携わる者としての最低限の心得や、物書きとしてのマナーなど、これまでたくさんのことを学ばせてもらった。本書の中でも、以上で述べた点の他に、「厳密な帰納法というものはほとんどないので、より蓋然性の高い仮説をもってよしとする」というルールや、「知識量と仮説の緻密さは比例する」という論は、大変参考になるものであった。小谷野は、かつて自分は呉智英からたくさんのことを学び、その恩返しとして彼への反論をしたいとある本の中で言っていた。自分も将来は小谷野に対してそのように振る舞ってみたいものだといつも思っている。