つれづれ日記:英会話「無駄な出だしフレーズ」の重要性

sunchan20042005-02-12

(写真:レーガン元大統領の国葬が行われたワシントン大聖堂の内部)

なんか最近日記ばかし書いてんな。ていうか書評の時よりも日記載せた時のほうが明らかにカウンターの上がりが早い(笑)。そういうわけで、ネタ思いついたら随時日記書こうと思います。書評を期待して下さっているみなさん、すいません。メインは書評のほうですので、それは必ず続けます。

これは英語に限らない話だが、会話というものには、必ず「無駄」がたくさん含まれている。日本語で言うと、「えーと」とか「それはねー」などがそうだろう。それ自体に意味は全くない。会話全体の趣旨からすれば不必要なフレーズである。しかし、これは「これから自分が話しますよ」というサインであり、相手の注目をひく、あるいはこのフレーズを言っている間に次に話すことを考えられる、などの効果がある。
 最近授業に出ていて、アメリカ人の学生が発言する時に異常な頻度で使うフレーズが気になっている。それは、

「I was (just) gonna say, …」

留学経験のある人なら必ず聞いたことがあると思う。誇張ではなく、アメリカ人学生が発言を始める時の8割方はこのフレーズから始まる。これもさっき言った日本語の「えーと」と同じように、それ自体に意味はない。「私が言おうと思ったのは」という意味なのだから、言ってみればなんの必要もないフレーズだ。でも、これも繰り返しになるけど、これは相手に自分の発言に対して注意を向けさせるという効果と、そう切り出しておいて次に話す言葉を頭の中で考えていられるという効果があるのである。

外国語の会話を学ぶとき、この「無駄フレーズ」をどれだけ自然に使えるようになるかが上達の秘訣ではないかと思う。英語の場合で言えば、最初は中学生で習う程度の文法を駆使して話すことから始まって、それにだんだん「無駄フレーズ」をくっつけて話す。そういう「無駄フレーズ」が増えていくにつれ、話すことが苦でなくなる。

もちろん無意味なことばかりしゃべれと言っているのではない。しかし、外国語会話を学び始めた頃の「何をどう話していいのか全く見当がつかない」という状況から早く抜け出せるか否かは、この「無駄フレーズ」をできるだけたくさん習得することにかかっているのではないかと思われるのである。力まずに話せるようになるからだ。(もちろん基本的な文法をマスターしてからの話だけれど)さらに、言語とは間主観的に成立しているルールである以上、高い頻度で使われているものを自分も使えば、言語共同体内でのコミュニケーションがスムーズになるという効果もあるはずである。

外国語の勉強は面白い。そんなこともともとわかっていたけれど、今それを改めて実感している。