三浦俊章『ブッシュのアメリカ』書評

ブッシュのアメリカ (岩波新書)

ブッシュのアメリカ (岩波新書)

アメリカ人の顔が見える描写を通して、ネオコンの風潮や愛国心一色に染まっているアメリカという単純化されたイメージを修正しようと試みる好著である。

日本からの報道を見ると、星条旗をうち振り愛国心一色に染まったアメリカという、やや単純化されたイメージが流布しているように思えた。実際に私が見ていたアメリカは、そうした流れと多様性とのせめぎ合いの中にあった。(205〜206頁)

同じく単純なレッテルを貼られている「ネオコン」というグループについても、「ネオコンが米国を席巻しているという見方は誇張だ」(188頁、クライド・ウィルコック教授)という声を紹介して、その特異さや危険性を過度に強調する論に釘をさしている。

9・11の衝撃によって、様々なベクトルが一致した。その指し示す方向が、軍事力によるイラク武装解除というネオコンの目標に重なったのである。ネオコンが力を増したというよりも、ネオコンの考え方を受け入れるような状況にアメリカが変わったと見るべきだろう。(110〜111頁)

90年代に入って、アメリカでは一種の「歴史ブーム」が始まった。本書によって、その背景に「世代間の和解」があることを知った。

「第二次大戦を経験した世代が生きているうちに、歴史の記憶をとどめたいという思いが広がっている」という。背景には、アメリカ社会特有の事情がある。世代別に考えてみると、第二次大戦を戦った人々の子供が、あの激しかった六〇年代のベトナム反戦運動を担っている。アメリカ国民の世代間の対立の中で、この二つの世代の対立が一番深いのだ。それが、いま、親の世代が消えゆきつつある中で、戦争体験を聞くことで、両世代の和解が進んでいる。「グレーテスト・ジェネレーション」。第二次世界大戦を戦った世代のおかげで、今日の平和と繁栄がある。そういう思いを込めた言葉が広まっていた。(33頁)

「世代間の和解」を進めようとしている状況において、第二次大戦で戦った軍人たちの名誉を傷つけようとする(と彼らが考える)動きには敏感になる。95年に頂点を迎えた「エノラ・ゲイ展示論争」もそうだった。そこでは学術的成果に基づいた問題提起さえ拒絶され、記憶や感情に基づいた一面的な議論だけが許される状況だった。

「内向きのアメリカ」が徐々に明らかになるにつれて、それに対するヒステリックな警戒論も増えた。しかし、ウィルコック教授の「だれが大統領か、どちらの政党が多数派かで、ネオコンの影響力は全く異なるだろう」(188頁)という言葉からもわかる通り、現在の勢力地図は今後大きく揺り戻しを受ける可能性が高い。ネオコンの大胆な主張に戸惑わされず、より長期的なスパンでアメリカ政治を眺めることが必要だろう。