酒井啓子『イラクとアメリカ』書評

イラクとアメリカ (岩波新書)

イラクとアメリカ (岩波新書)

【ポイント】


■レンティア国家

石油のように、たまたま存在する資源から得られる不労所得に依存している国家は、「レンティア国家」、すなわち「金利生活国家」と呼ばれる。この国家の特徴は、国家と国民の関係が一方通行、つまり国家から国民にただ配分するのみになりがちだということだ。「選挙権なくして課税なし」という議会制民主主義の基本となるような税収への依存が、レンティア国家には見られない。(42〜43頁)


■軍事大国イラク

イスラーム革命」の脅威が遠のいた結果、彼らの眼前に残されたのは、経済的に困窮しながらもありとあらゆる武器を装備して軍事大国になった、イラクだった。(60頁)


■「パレスチナ・リンケージ論」

完全な孤立状態に陥ったフセインは、起死回生の策を打ち出す。八月一二日、彼は「イラクのクウェイトからの撤退は、イスラエルパレスチナ占領地からの撤退などと同時に解決すべき問題である」と述べ、パレスチナ問題を巻き込んだ包括的解決案を提示した。(110頁)[パレスチナ・リンケージ論]

開戦の翌日にイスラエルを攻撃したのは、イスラエルを戦闘に巻き込むことで争点をパレスチナ問題にすり替え、多国籍軍に加わったアラブ諸国を強引にイラク側に引き付けよう、との思惑だったと思われる。だがアメリカの強い指示もあって、イスラエルイラクへの反撃を自制、戦線拡大の目論見は失敗した。(115頁)


■UNSCOMの査察方式の変更

だが、国連活動に対するイラクの妨害は、九六年以降急激に回数が増える。これはイラク側が態度を硬化させたというよりも、国連側が査察方式を変えたことが原因であった。

その理由は、九五年に亡命したフセイン大統領の娘婿、フセイン・カーミルがもたらした軍事情報にあった。元軍事産業相を務めたフセイン・カーミルは、イラク政府がいかに国連の査察をかいくぐって実際に大量破壊兵器を隠し持っているか、UNSCOMが廃棄したものはただの「見せ」兵器で、一部を廃棄することでいかにイラクが国連を信用させようとしてきたか、といったことを、国際社会に向けて赤裸々に暴露したのである。この機密情報の流出に、震撼したのはイラク政府であった。フセイン政権は、フセイン・カーミル自身こそがそうした機密情報を隠し持っていた本人である、と責任を転嫁しつつも、イラクがこれまで申告してきた以上に兵器を保有していることを「告白」せざるを得なくなった。

このフセイン・カーミル情報によって、UNSCOMは、これまでの査察団の活動が全く十分ではなかったことを痛感させられる。そこで国連の査察活動は、それまでのやり方を一変させることとなった。つまり、イラク側が事前に機密を隠匿できないよう、詳細な抜き打ち査察を行なうことにしたのである。これに対して、イラク政府はこれを阻止し排除しようとする。両者の間には、激しい摩擦が生じた。(187〜188頁)


■「アメリカかフセインか」の不毛

チョムスキーに代表される欧米の反戦人道主義者たちが、結局フセイン政権の反米プロパガンダに利用されていくように、マッキーヤやファーイク・アリーのような反フセイン派は、対米依存=反アラブというレッテルを貼られ、「シオニストの手先」として否定されていく。そういう「アメリカかフセインか」という二極対立構造への単純化が進むなかで、家族の半分をフセイン政権の弾圧で亡くし、残り半分をアメリカの空爆で亡くしたような市井のイラク人たちの、「どちらももうたくさんだ」という声は、どこにも届かない。(214〜215頁)


【書評】
最近のイラク攻撃についての報道番組に頻繁に出演している、アジア経済研究所の酒井啓子氏による「堅実なイラク入門書」(山内昌之、『朝日新聞』2002年9月8日書評)である。イラク現代史の俯瞰には最適の書である。

『アメリカはなぜイラク攻撃をそんなに急ぐのか』書評でも対イラク経済制裁の評判の悪さを取り上げたが、この本の中でもそれについて言及されている。大量破壊兵器(WMD)の開発阻止にも、フセイン政権転覆にも全く成功していないからである。経済制裁による人道上の問題が大きく取り上げられるに至って、国連では「食糧のための石油」という発想が生まれた。「これはイラクに一定の石油を輸出させて、その代金で国連活動資金と、イラク国民にとって人道的に最低限必要な食糧や医薬品の購入を賄うという案」(134頁)であった。このシステムのユニークな点は、「イラク政府に一切の「現金」を触れさせずに輸出入を行なうところ」(136頁)であった。つまり、石油の売却、石油輸出で得られた代金の割当て、人道物資使用の承認を全て国連が行なうことになっている。

これは人道上の問題に対処する上で画期的な発想であることは間違いないだろう。しかし、より大きな問題はまだ解決されない。つまり、イラクのWMDをどう効果的に査察・廃棄するか、そして特にアメリカにとってはいかにしてフセイン政権を転覆させるかという問題である。『アメリカはなぜ〜』書評ではより強化された査察とそれが妨害された時の軍事制裁で主要な目的は達せられる可能性が高いと論じたが、しかし現実にはそう簡単に行くものではないことが本書を読めば明らかになる。98年12月16日に英米軍によって行なわれた「砂漠の狐」作戦は、「全くの逆効果に終わった。フセイン政権は空爆を生き延びたことで声高に「勝利宣言」し、国連に対する姿勢は一層硬化したのである。以来査察団はイラクに入ることが一切できず、空爆は、結局UNSCOMが機能停止したことを白日のもとに曝け出したに過ぎなかった。」(198頁)

査察が妨害された時の軍事制裁は、目的達成には全く貢献しなかったことがわかる。ではどうするか。今回のようにイラクを攻撃して、政権の転覆を行なう以外に手段はないと考えるべきだろうか。自分はそうは思わない。見かけの華々しさとは裏腹に、そのような手段はより一層事態を複雑にする、短絡的で想像力の欠けた発想であるように思える。ロシアやフランスはイラクに石油の利害があるからアメリカのイラク攻撃に反対するのだという主張は、視野の狭い議論だろう。もちろんそうかも知れないが、イラクがWMDを所有する事態はロシアやフランスにとっても受け入れられないもののはずである。完全なる査察、完璧な軍事制裁というものがあり得ないのであれば、たとえ不完全でもWMD開発・保有の阻止にヨリ効果的な方策を地道に続けるしかないのではないだろうか。

フセイン政権転覆のためにアメリカが続けているもう一つの政策に、反政府勢力の支援がある。しかしながら、これも非現実的な政策であることが事あるごとに明らかになっている。北部のクルド勢力は内部対立が激しいし、南部シーア派共産党勢力は互いに反発、それぞれの主義主張もばらばらである。特にイラククルド勢力内における「クルド民主党(KDP)」と「クルド愛国同盟(PUK)」の争いは熾烈を極め、「両者の衝突の激しさは、九五年一月、共通の闘争相手であるはずの中央政府サダム・フセインが、両者の仲をとりもとうとしたほどだった」(川上洋一『クルド人 もうひとつの中東問題』集英社新書、2002年、137頁)そうである。

もちろん、もしフセイン後のイラクのビジョンを示すならば、これらの勢力への説得、統一勢力の結成は不可欠になるかも知れない。しかし今のままでは、フセイン後のイラクが予想された以上の混乱状態に陥る可能性はかなり高い。本気でフセイン後のイラクの安定を考えるならば、それだけ深く国家建設に関与せざるを得なくなるし、その分コストや責任も大きくなる。アフガニスタンで当初の予想に反してアルカイダが早々と崩壊してしまったために、イラクでも同じような状況が可能だと考えたのだろうが、国内の事情が異なる両国に同じ政策が適用できるとは思えない。

アメリカの対イラク政策にのみ焦点を当ててきたが、最後に著者が「フセイン的なるもの」の危険性について読者の注意を喚起している箇所は、極めて重要である。

私としては活字に残して伝えておきたいことがあった。それは、フセインの創り上げたものが「イスラーム」というわれわれにとって「他者」の世界に独特なものでは決してなくて、冷戦構造や独裁体制や国家による個の管理といった、われわれの慣れ親しんだ「西欧近代のなれの果て」のなかから出現したものだ、ということである。(222頁)

日本政府のイラク攻撃支持がどこか他人事のように聞こえる時、それは全ての近代国家が抱える問題なのだという主張は、陳腐であるように見えて実はかなり革新的なことなのだという思いを強くさせた。