前田哲男『PKO―その創造的可能性―』書評

PKO―その創造的可能性 (岩波ブックレット)

PKO―その創造的可能性 (岩波ブックレット)

本書は、冷戦期に機能不全に陥った安保理に代わって、国連の機能を回復させるための苦肉の策として生まれた国連平和維持活動(PKO)の生い立ちを、わかりやすく解説した小冊子である。1956年にスエズ動乱が起こり、紛争の当事国(英・仏)を含む安保理が紛争解決能力を喪失していた中、総会と事務局の主導によって初めて、のちにPKOと呼ばれることになる「国連緊急軍」(UNEF)が編成されたのだった。その後は北欧の四カ国によって「北欧国連待機軍」が作られ、その行動の五原則ものちのPKOとほぼ重なるものであった(14〜18頁)。


本書に沿ってPKOの特徴を大きく二つにまとめると、①総会が主体となって緊急に編成された、国連憲章上に明文規定のない軍隊であること(4頁)、また緊急を要するゆえに、②各々のPKOはケース・バイ・ケースで結成され、規模・形態・任務がその都度状況に応じて異なること、すなわちPKOに「定番」というものは存在しないこと(47頁)が挙げられる。


ところが冷戦が終結すると同時に、PKOを取り巻く環境も大きく変貌を遂げた。かつて冷戦の東西対立のせいで実現できなかった、憲章第7章に基づく「平和執行部隊」による強制行動が当事のガリ国連事務総長によって唱えられるようになり、PKOの任務はよりいっそう軍事的役割を担うことが期待されるようになった。ところが1993年の国連ソマリア活動Ⅱ(UNOSOMⅡ)が現地勢力のアイディード派と戦闘状態になり、米軍兵士ほか多数の国連軍兵士が犠牲になったことで、強制行動を担う平和執行部隊の構想は挫折するに至った。ガリ国連事務総長は再選を阻まれてその地位を去った。


こうした失敗は本書が書かれた時点(1991年)よりもあとに起こった出来事であるため、本書ではPKOの限界についてはほとんど言及されていない。また、冷戦終結後の地域紛争の展望についても、やはり認識が甘い。1991年は冷戦終結の高揚感がまだ残っており、PKOやその他の国連の活動を待ち受ける大きな罠に対してかなり目を曇らされている観は拭えない。アジアでも「脱冷戦」が確実に進んでいると著者は指摘しているが、現実はそうはならなかった(40〜41頁)。


同じ文脈で本書の限界と考えられるのは、「国連幻想」ならぬ「PKO幻想」が抜きがたく現れている点である。著者は「憲法があるからダメ」(42頁)という論じ方ではなく、「憲法に従ってこうしよう」(43頁)と論じるべきであり、現行の憲法の下でも日本がPKOに参加してできることはたくさんあると述べている。「日本型PKO」(46頁)として将来的に考えられるのは、すでに行われている選挙・停戦の監視団の他に、軍縮・武器移転の監視団、人道的救援、戦後復興協力隊、さらには紛争の予知・防止などが挙げられている。


確かにこれらの分野は非軍事的なものであり、もしこれらの任務がPKOに課せられたとしても、現行憲法の下でも日本は参加できるだろう。しかしすでに国連とりわけPKOは長いこと財政難に悩まされていることからも明らかなように、これだけ幅広い任務をPKOに課すことが果たして現実的なことなのかどうかをまず問わなくてはならない。シンガーの『戦争請負会社』で論じられている通り、国連PKOの非効率性がますます「軍事の民営化」を促進してしまっているし*1、メディアでもPKOによる多額の無駄遣いや不正支出、ずさんな組織管理が指摘されている。(「PKO無駄遣い100億円 国連査察で判明 出張費水増しやポスト増設」「『無責任体質』脱却カギ 拠出金の『重み』に理解なく」『毎日新聞』2001年1月16日付朝刊)


こうしたPKOそのものに付きまとっている問題を考慮しないまま、PKOにさらなる任務を引き受けさせるのは非現実的であるだけではなく無責任ですらある。例えば、戦後復興や人道的援助は、PKOという形でやらなくてはならない理由はあるのだろうか。民営軍事請負企業やNGOの中には、同じ任務を国連による活動の10分の1の予算でできると公言する団体もある。


また、PKOに参加する自衛隊員を「併任」にするか「休職・出向」にするかという議論や、PKFの活動を「本体」か否かに区別する議論が不毛であるという著者の認識は確かにその通りであり、それが内向きの議論であるという批判も否定はできないが、しかしその一方で、「国際貢献」をめぐる政策決定が国内政治から全く自由でいられると考えるのも幻想にすぎない。日本に限らず、PKOに参加するどの国も、国内政治によってその活動は制約を受けるのである。例えば、著者はPKOに参加する「新組織は完全に防衛庁自衛隊からはなれたものでなければならない」(57頁)と書いているが、国内政治の状況から見て、このような主張を防衛庁自衛隊、そして国防族議員は決して認めようとはしないだろう。冷戦終結の歴史的意義を政策に反映させるべきなのは当然としても、やはり国内政治要因とのバランスはどうしても必要となる。


著者はのちに『検証・PKOと自衛隊』(岩波書店、1996年)という本を上梓している。本書では冷戦終結直後の高揚感に惑わされている点が多く目についたが、こちらの本ではどのように書かれているのかあとで確認してみようと思う。

*1:特にシンガーの本の以下の箇所がそれを強く物語っている。「民間企業エグゼクティブ・アウトカムズ社の作戦は、規模と経費の点で国連の作戦の約四パーセントにすぎなかった。さらに重要なことに、民間企業の作戦のほうがはるかに成功だったと一般の人々は考えている。反乱軍をものの数週間で敗北させ、選挙を行えるに十分なまでに国の安定を回復した。国連だと何年もかかる仕事である。」(P・W・シンガー『戦争請負会社』359頁)