佐々木芳隆『海を渡る自衛隊』書評

海を渡る自衛隊―PKO立法と政治権力 (岩波新書)

海を渡る自衛隊―PKO立法と政治権力 (岩波新書)

湾岸戦争終結したのちの91年9月に政府が国会に提出した「国連平和維持活動(PKO)等協力法案」、いわゆる「PKO法案」は、著者によれば、88年12月に成立した「消費税導入法案」といくつかの点で共通しているという。一つは、政権側が度重なる廃案の憂き目を見ながらも、執拗に立法にこだわり続けたこと、もう一つは、これらの法案の必要性の裏には、表向きの理由とは別に政治的な思惑があったと、である。PKO法案の前身であり、90年10月16日に国会に提出されて結局廃案になった「国連平和協力法案」は、前田哲男によれば「ずさんな内容、あいまいな法解釈」に基づいて作成されたものであり、その後装いを新たにして再度提出されたPKO法案も、その否定的な特徴をしっかりと受け継いでいた。本書は、「国際貢献」の美名のもとに、自衛隊の海外派兵という戦後史を画するような政治的大転換の政策決定が、いかにいい加減で場当たり的な法解釈と政治的野心によってなされるに至ったかを詳細に示すルポルタージュの金字塔と言ってよい良書である。本書を読み終えて、「モノやカネだけでは不十分だ。ヒトも出さなくてはならない」というもっともらしい言説がいかに胡散臭いものであるかがわかった。

小沢一郎の言う「法の運用と解釈の妙」の具体的な実例が本書でいくつも挙げられている。例えば、1991年1月17日に湾岸戦争が始まった直後、海部首相は自衛隊法一〇〇条の五(国賓等の輸送)の規定における「国賓等」の意味を最大限に拡大解釈して、「被災民の移送」を可能にする手続きを取り、25日には航空自衛隊のC130輸送機を派遣する特例政令閣議決定した。ところが、国際機関や現地から要請があればすぐにも飛び立てる態勢を整えていた自衛隊の輸送機には、結局どこからも派遣要請が来ず、4月19日の閣議でこの特例政令は廃止される。

いったい、何のための「法の運用と解釈の妙」だったのか。自衛隊輸送機を海外に派遣するという特例政令を、法解釈を無理に広げてまで急造したという既成事実だけが残ることになった。(68〜69頁)

さらに、湾岸戦争終結後、ペルシャ湾の機雷を処理するための掃海艇の派遣が問題になった時、掃海作業について定めた自衛隊法第九九条の「海上自衛隊は、防衛庁長官の命を受け、海上における機雷その他の爆発性の危険物の除去及びこれらの処理を行う」という法文に派遣の根拠が求められた。つまり、この法文には掃海作業の地理的な範囲が明記されていないため、領海にとどまらず公海ならどこでも機雷除去に従事できると政府は拡大解釈したのである。

しかしこの第九九条は、第二次大戦が終わってから戦争中に瀬戸内海などの沿岸部に敷設された多くの機雷の処理をしてきた海上保安庁の業務を、海上自衛隊発足とともに一手に引き取った時の根拠規定。立法の経緯や趣旨からすると、おのずと日本近海に限られると読むのが自然だ。だからこそ、海上自衛隊の掃海艇は三八隻とも五〇〇トン未満という沿岸型だったのだ。(122頁)

やはりどう考えても無理のある拡大解釈である。「法で解決できない問題に判断を下すのが政治の役割」とはよく聞く言葉だが、ここでは法律と自衛隊派遣のつじつま合わせがなされようとしているにすぎない。それを避けるためには、自衛隊法、ひいては日本国憲法を改正する以外に方策はない。であるならば、こんなふうに急場しのぎの政治決着を迫られるはるか以前に、もっと広い範囲の人々に憲法改正すべきか否かの判断を仰がなくてはならなかったはずである。

兵力の引き離しや治安の維持回復を担うPKOの中の、より軍事的な活動である「平和維持軍(Peace Keeping Force、PKF)」への自衛隊の参加条件についても、まるで「ガラス細工みたいな議論」(後藤田正晴官房長官、187頁)に終始した。PKFへの自衛隊の参加が憲法第九条の枠内に収まるものであることを強調するために使われた二つのポイントは、「武器使用の制限」と「参加の前提が崩れた時の自発的な撤収」であった。しかし、著者が言うように、この二つは現場ではそう簡単に実現できるものではないことは明らかである。例えば、携行する武器は「要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限る」とされ、さらに一緒にいる隊員の生命・身体の防衛についても、自衛隊員は「事態に応じ合理的に必要と判断される限度で」武器を使用できることになっているが、これらの曖昧な規定だけでは、現場で行われる「武器の使用」がどんどんエスカレートして、憲法が禁じる「武力の行使」のレベルにまで達してしまわないという保証は全くない。また、隊員個人の「合理的な判断」に委ねている点も不確実さを助長してしまっている。さらに、「自発的な撤収」についても、実際に任務から勝手に撤退することなどできるのかという疑問が出された。

官房長官談話では、停戦の合意やPKFに対する紛争当事者の同意、中立性の堅持といったPKF進駐の前提そのものが崩れた場合、「短期間に、かかる前提が回復しない」なら、「派遣を終了させる」となっている。日本の部隊の現地指揮官が国際平和協力本部長(首相)に報告し、我が国独自に判断するというのだが、「前提が回復しないというのは、どんな事態か?」、「短期間とは?」について、誰がどんな基準で判断するのか。また、日本の部隊が持ち場を離脱したために、他国の部隊が危険な状況に陥るようなことになりはしないか。自衛隊制服組の意見を聞いてみると、結局PKF参加の前提が崩れたと誰の目にも明らかになるまで撤退はできず、したがってPKFの部隊全体が引き揚げるのと同じタイミングの撤収になる可能性が大きいというのだが――。(153頁)

このあと、結局実現はしなかったものの、当時のガリ国連事務総長が「平和のための課題(Agenda for Peace)」という報告書の中で、より重武装された「平和執行部隊(Peace Enforcement Units)」というPKOの質を大きく変える新しいPKO像を提示してきた時、それは自衛隊のPKO参加の前により大きな壁として現れたのであった。

この本のあとは、本書に書かれているような経緯を経て1992年6月に成立したPKO等協力法が、カンボジアにおけるPKOへの参加などにおいて、どのように運用されていったのか、2003年に始まったイラク戦争が終わったあと、戦後復興のためにイラク自衛隊が派遣された際、その派遣の根拠となっているイラク特措法との関連や違いはどうなっているのか、という問題に進みたいと思う。その前にもう少し幅広くPKOについて調べてみようと考えている。