Norms, Identity, and National Security in Germany and Japan

The Culture of National Security: Norms and Identity in World Politics (New Directions in World Politics)

The Culture of National Security: Norms and Identity in World Politics (New Directions in World Politics)

■Thomas U. Berger, Norms, Identity, and National Security in Germany and Japan, in Peter J. Katzenstein, ed., The Culture of National Security: Norms and Identity in World Politics, NY: Columbia University Press, 1996, pp.317-56. 評

引き続き英語で書くつもりだったが、この論文のまとめをノートにしたものを何度読み返しても論理矛盾しているような気がして、まずは母語で理解を深めたほうが賢明だと判断して、日本語で書くことにした。内容を順序だてて追ってみようと思う。

ちなみにこの論文が所収されている本は、文化(規範やアイデンティティ)と安全保障の関係についての論文でほぼ確実に引用される重要な文献である。その中で戦後の日本とドイツの安全保障政策について書かれたThomas U. Bergerの論文をここで取り上げる。

まずBergerは冒頭で、戦後の日本とドイツの安全保障政策はネオリアリズムネオリベラリズムの前提をもってしては説明が不可能であると述べる。それら「合理主義」の考え方では、国家の行動は「国際環境から生じる圧力に対する合理的な反応」(317頁)とみなされる。ところが、リアリストの前提から予測される「政治的・軍事的パワーの最大化」あるいは「安全保障の最適化」(321頁)という選択肢は日独ともに取らず、むしろ全く正反対の行動を取った。すなわち、保有する武器の性質、軍の構造、軍の行動を制約する制度などを通して、単独で軍事行動を行う能力を自ら厳しく制限してきたのである(318頁)。

ネオリベラリズムの説明はどうだろうか。こうした日独の軍事における自主的な抑制は、ネオリベラリズムが説く、自由民主主義の拡散、経済的相互依存の強まり、社会的インフラや科学技術の発達による戦争コストの劇的高まりなどに対する「合理的な反応」として、一見説明がつくように見える(322頁)。しかしながら、日独の軍事に対する「臆病さ」は、ネオリベラリズムが説く国際的レジームの有効性を弱めかねないほどに顕著なものであった。日独の同盟への「ただ乗り」や安全保障レジームの弱体化を招きかねないにも関わらず、日独は軍事行動に対する関与を極力少なくする姿勢を取り続けたのである(318頁)。さらに、ネオリベラリズムもまた、日独の「反軍事感情」(antimilitarism)がどのようにして(=どこから)生じてきたのか、そして似たような国際環境に置かれた国は他にもあるのに、日独だけが特にこの感情が強い理由は何なのかを説明できない(323頁)。

Bergerは、戦後における日独の極端な「軍事アレルギー」は、それぞれの国の国内において安全保障政策が作られる文化的・制度的コンテクストを見ることなしには説明できないと論じる。

日本とドイツは、歴史的な経験とその経験に対する国内の政治的アクターの解釈の仕方の結果、軍事力の行使を極度に嫌がる信念や価値体系を形作っていった。(318頁)

そしてこのような信念や価値体系が終戦直後に制度化され、それぞれの国のナショナル・アイデンティティにおける不可欠の要素となったのであった。その証拠に、冷戦が終結して国際環境は劇的に変化を遂げたにも関わらず、日独両国の安全保障政策は最小限の変化しかしなかったのである(同)。

要するに、ネオリアリズムネオリベラリズムも、ナショナル・アイデンティティとそれが利益を定義するプロセスに注目していないというのが著者の批判である(323頁)。アイデンティティダイナミクスは、著者によれば、国家を他の要因から隔絶された単一のアクターとみなすシステム的アプローチでは理解できない。戦前のドイツでは、知識人はドイツの特殊性を強調していたが、戦後は西洋との統合に自国のアイデンティティよすがを見出していった。そしてそれが国益の定義の仕方を変化させるに至った。よって、戦前の考え方からすれば否定的に見られたはずの(また、「合理主義」からすれば説明が困難な)国家主権の部分的委譲がドイツによって積極的に推し進められることになったのである(324頁)。

そこでBergerは国内要因に注目する。その国内要因とは「政治・軍事文化」(political-military culture)である。それは「より包括的な政治文化の下位概念であり、当該社会の構成員が国家安全保障、制度としての軍隊、そして国際関係における軍事力の行使についていかなる見方をするかに影響を及ぼすもの」である。この文化が社会の構成員の期待に応えられなくなった時、ソ連崩壊後の共産主義諸国のように、他の文化システムへの「逃亡」(defection)が起こり得る(325〜326頁)。

多元主義的な政治システムにおいては、様々な政治的アクターが議論や交渉を通して、社会に共通の信念や価値体系を形成していく。歴史的出来事、現在の状況、そして未来の目標の新たな解釈によって、アクター間でなされた妥協が正統化されていく。そしていったん合意された価値は制度化され、その後にアクター間の力関係が変わっても、その新たな価値体系は簡単には左右されなくなる(327頁)。

もし新たな政策が生まれてきて、それが既存の規範や価値に抵触するものであれば、社会の中でデモや政治的な対立、あるいは政権交代などが起こる(329頁)。そしてそれが規範や価値そのものの変化へとつながっていく。

公にされた文化的信念や価値体系は、行為、すなわちこの場合、防衛・安全保障政策と同時に変化を示すはずのものである。(328頁)

そのような変化の例として、Bergerは、70年代における日独の安全保障政策の変化を挙げている。日本では保守派が政権を握り、アメリカとの同盟を強化して右に舵を切ったのに対し(1978年に「日米防衛協力のためのガイドライン」制定)、ドイツでは同盟諸国の懸念をよそに東側陣営との関係改善を大胆に試みた。マスコミの世論調査の結果に依拠しながら、Bergerは「政治・軍事文化が大きく変化した」と解釈する。しかしこの変化は、終戦直後に形成された日独国民の「反軍事感情」を強める形で生じた。より積極的な軍事行動への関与の試みは、必ず国内において政治的騒動へと発展した(343頁)。

90年代に入ると、とりわけ91年の湾岸戦争後は、集団安全保障のための海外派兵が大きな論点となった。日独ともに国内では意見が真っ二つに割れたが、徐々に限定的な海外派兵への賛成が強まっていった。ドイツでは、連邦憲法裁判所が、それまで憲法で禁じられていたNATO域外への派兵を、議会の承認と多国間の枠組みで行われることを条件に可能とする判断を下すに至った。(344〜345頁)

しかし、Bergerによれば、このような漸進的な安全保障政策の変化にも関わらず、それは冷戦期、とりわけ終戦直後の50年代に生まれた政治・軍事文化から決して大きく逸脱することはなかった。70年代、ドイツではブラント政権による東方外交が推進され、日本では「自主防衛」論によって独自の軍事政策を模索する動きが強まった。これらはデタントベトナム戦争終結など、国際的な要因によって生じた政策の変化であったと考えられる(339頁)。にもかかわらず、そうした動きは国内における政治対立によって遂行が大幅に遅らされた(347頁)。ドイツにおける中距離核ミサイルの配備の議論やコール政権による戦略防衛構想(SDI)の支持にせよ、また日本の中曽根内閣による防衛費のGNP比1%枠の突破、そして鈴木内閣期の「シーレーン防衛」構想にせよ、それらは「地理戦略的な緊急対策というよりも、むしろ国内向けの政治的策略」(350頁)であったように見えるとBergerは述べる。すなわち、70年代に起こったこれらの政策変更はむしろシンボリックな意味合いが強いものであって、実際には軍事力の大幅な増強を意味してはいなかった。日独ともに軍は本土防衛の役割のみを引き続き担っており(352頁)、軍に対する厳しい制約(日本における軍の官僚による厳しい管理、ドイツにおける軍と社会の統合)は変わらず残っていた(355頁)。最終的にBergerの言いたいことは、終戦直後に制度化された日独の政治・軍事文化は、70年代の政策転換にも関わらず、90年代もしっかりと両国の安全保障政策を規定し続けていたということである。そしてそのような文化が劇的に変化するのは、それまでの防衛・安全保障政策が失敗であったと指導者たちが確信するほど衝撃的な出来事が生じた場合のみであると論じている。日本にとっては、それは新たな脅威の出現に伴う日米同盟の破綻を意味するかも知れない(356頁)。

さて、以下は評者による本論文への疑問点である。

まず、この論文の主旨は、「外的環境が激変を遂げた(=冷戦の終結)にも関わらず、90年代に入っても日独の安全保障における規範や価値は変わらずに維持されたのはなぜか」を追求することであったはずである。つまり、「なぜ変わったか」ではなく、「なぜ変わらなかったのか」を分析するものであったはずである。その理由としてBergerは国内要因に着目し、終戦直後の改革期における占領軍とそれに協力した政治指導者たちによって徐々に形作られていった「政治・軍事文化」を重要視した。

ところが、本論文内では、繰り返し「文化的規範と価値体系は、行為(=政策)の変化と並行して生じてきた」(355頁)とされ、70年代の日独における安全保障政策の転換をもって、「日独の政治・軍事文化は大きく(“in significant ways”)変化した」(343頁)と述べられている。にもかかわらず、それらの変化は実際には「取るに足りないもの」(“far less significant” 350頁)であり、最終的には両国の政治指導者たちは50年代に生み出された政治・軍事文化に沿って行動し続けたと結論付けられている。

この論理展開は矛盾していないだろうか。もし70年代の政策転換が「取るに足りないもの」であるのならば、それをもってして「規範・価値体系の変化と政策の変化は同時に起こる」と論じるのは無理があるのではないだろうか。結論は、前者は90年代も変わらず維持されたとするものであるのだから。仮にその「同時性」が正しいのだとしても、これでは「文化(規範・価値体系)と行為(=政策)の相関関係」を説明するには弱すぎると思われる。評者の考えでは、Bergerによる「政治・軍事文化」の定義がまだ大雑把すぎることに原因の一つがあるように思われる。

第二に、Bergerも軽く触れているとおり(321〜322頁)、本論文に対してリアリストは次のように反論するだろう。

「戦後の日本が一貫して軍事政策に極端に慎重であったのは、積極的な軍事政策が国内政治においてなんら利益にならなかったからである。」

すなわち、独自の軍事政策と集団安全保障のための軍事的な責任分担は、国内政治の観点からみて「割に合わなかった」のである。言い換えれば、戦後日本の安全保障政策の継続性は、リアリストが重視する「interest」から十分に説明できるとするものである。実際にこのように直接評者に述べた教授もいた。これに対する説得力のある再反論は、本論文から伺うことはできない。

またBergerは、冷戦が終結して日独は軍事における裁量の幅が広がったにも関わらず、軍事力の規模を大幅に縮小したと論じているが(322頁)、軍の規模を大幅に縮小したのは米英も同じであり、その要因の一つが国内政治にあったことも全く同じである。冷戦後に軍事的な関与を強めることの「国内における政治的コスト」(322頁)は日独に限られたことではなかったはずである。

以上の点を総合して考えれば、本論文は「文化と安全保障の相関関係」を明らかにするという目的にとっては、いまだ不十分な内容であると言わざるを得ない。安野正士が言うように、「アイデンティティと行為」の関係と「利益と行為」の関係を別々に論じるのではなく、「アイデンティティと利益の相互作用」を論じなくてはならない。リアリストとコンストラクティヴィストの「理論的橋渡し」を目指すのでなければ、説明は不十分なものに終わってしまう。