宮坂直史「『戦略文化』と戦後日本のテロ対策」評

日本外交のアイデンティティ (国際関係学叢書)

日本外交のアイデンティティ (国際関係学叢書)

■宮坂直史「『戦略文化』と戦後日本のテロ対策」長谷川雄一編『日本外交のアイデンティティ』(南窓社、2004年)148〜178頁。

本論文は、戦後日本におけるテロ対策の特徴を、「平和規範」と「人権規範」という戦後日本の「戦略文化」(strategic culture)の二つの要素から説明を試みるものである。戦後日本のテロ対策に一貫して見られた取り組みの遅さを、「諸外国と比較してテロの脅威が低かったから」とする合理的な説明によって理解するのではなく、日本に特有の文化的要因から理解しようとするのが著者の本論文における目的である。

宮里によれば、日本のテロ対策の特徴は以下の5つにまとめられる。

①原則なきテロ対策 ②テロ組織との対決回避 ③力の行使の抑制 ④被害管理の重視 ⑤国際的取り組みの遅さ (以上、162〜164頁)

以上のような日本のテロ対策の特徴はどのようにして生まれてきたのだろうか。既述のとおり、著者はこれを戦後日本の「戦略文化」から説明しようとする。その背景にあるのは、「テロは単に客観的な事実ではなく、社会的に構成される概念である」(149頁)とする前提である。すなわち、テロリズムとは「文化的な文脈から離れて存在しえない間主観的な存在」(156頁)であり、テロの受け手である社会の側がテロであると認定して初めてそれはテロとなり得る。宮里はそれを以下のようなわかりやすい例で説明する。

架空のたとえ話であるが、「横須賀解放戦線」なる組織が反米反帝主義の声明のもとに横須賀米軍基地周辺で高性能爆弾を爆破させ通行人を数百人死傷させたとしよう。一見するとテロリズムだが、全国紙やテレビがこの事件を無視または三面記事のように扱ったりあるいは賛美すれば、この行為でさえ全国的にはテロリズムと認知されたことにならない。同じ暴力でもA社会ではテロリズムと非難されてもB社会ではテロとはみなされないケースはよくある。どのような暴力がテロリズムの名にあたるのか、それを決めるのはそれぞれの社会が有するアイデンティティや規範である。(156〜157頁)

テロが社会的構成物であることを確認した上で、では戦後日本においてそれはどのように構成されたのかを見てみよう。宮里は、敗戦によって生まれた二つの規範(平和規範と人権規範)が日本人のテロリズム観を形作ってきたと述べる。平和規範とは、平和に絶対的な価値を置く規範であり、テロを解決するための手段も可能な限り平和的なものを要求する考え方である。これによって単純な戦争・平和二元論ができてしまい、その中間形態であるテロリズムに対する態度を鈍らせてしまった(168頁)。他方の人権規範もまた、国家によるテロのほうが「はるかに重大な問題」(171頁)であるとの認識を強めることによって、平和規範と同様、単純な国家対市民という二項対立からなる認識枠組みを生み出した。しかし、国家によるテロを重視すれば、そこには戦争やジェノサイドまで含まれることになってしまう(同)。それがテロリズムの定義をよりいっそう不明確なものにしてしまった。その一方で、テロを狭い意味で捉える見方も一般化しており、日本ではそれは「政治的暗殺」というイメージによって捉えられている。しかしながら、そうした狭義のテロリズムのみでは、テロリズムの本質を見逃してしまう。

念のため、政治的暗殺は確かにテロ行為の一つとみなされるが、その逆にテロとは政治的暗殺だけでないこともいうまでもない。(170頁)

日本では、テロはもっぱら政治的行為として理解されてきた。

以上の二つの捉え方に代表されるように、日本ではテロリズムを暗殺とみなす狭義のものにせよ、国家テロも含める広義のものにせよ、テロは政治的行為であるという見方が主流であった。それ故に、宗教テロ(religious terrorism)や民族テロ(ethnic terrorism)に対してはそれらをテロリズムということに抵抗感が強いといえよう。(中略)オウム真理教事件の際に少なからぬ論者がなぜ宗教団体なのにテロを?というナイーブな問いを発したり、チェチェン過激派の問題を単に大国ロシアによる抑圧への抵抗とみなし、彼らがビンラディンのネットワークにあり、放射能テロまで実施した(一九九五年一一月、モスクワの公園でのセシウム137事件を指す)テロリスト集団とみることができない。(171頁)

日本人のテロリズム観の偏りは左翼と右翼のテロ行為の区別にも現れる。

まず、右翼の暴力に関していえば、国民の側からも、同時に権力の側からも、それらがテロリズムであると認識されることは少なかった。戦前の二・二六事件五・一五事件は明白なテロ事件であるが、これらがともすれば国民や知識人の同情を集めてしまう。猪木正道は怒りを込めて「テロリストたちを賛美した狂った世論」を非難している。さらなる問題は、このような戦前の暴力が、戦後の学校教育でテロとして断罪されることも、また歴史的な意味付けをされることもない。ここには未曾有のテロの時代から何らかの教訓を引き出そうとする意欲が欠けている。(171〜172頁)

戦後の右翼はどうであろうか。権力側が右翼をある時期まで利用しようとしてきたことはよく知られている。一九六〇年安保闘争では右翼と暴力団が権力によって動員された。(中略)
警察は(極左暴力集団と同等に)極右暴力集団とはいわない。極右がいないからではなく、その心情的な理由は恐らく右翼の「原型」にノスタルジーを感じているからだと思われる。右翼テロリストには、ある種の「美学」があるとしばしば指摘される点は興味深い。(172頁)

テロの「原初体験」(169頁)がない日本人にとって、憎悪すべきテロリストの典型的なモデルは存在していない。そのことがテロとの対決回避と力の行使の抑制という日本のテロ対策の特徴につながっている。それゆえ、こうした伝統的な日本のテロ対策と、911事件以降急速に形成されてきた反テロ国際規範とのせめぎあいの中にいま日本は置かれている(174頁)。

戦後日本のテロ対策を説明する独立変数として文化に注目する本論文は、Thomas U. Bergerの論文と重なり合うところが多い。しかし、規範と行動(=政策)の相関関係について、宮里はBergerよりもさらに踏み込んで以下のように述べている。

問題は、一国の文化や規範と、政策(あるいは行動)の因果関係であろう。文化を政策形成、政策決定の一つのファクターとみなすことは概念的には可能だが、それがどの程度ある決定に影響を与えたのか否かを測定する普遍的あるいは決定的な手法はない。しかし、厳密な因果関係の分析を避けて、文化と政策の関係をより緩やかに論じることは無意味ではない。(中略)その方法としては、ある特定の政策に関して、政策決定者あるいは世論から表出される言説に着目することから始めればよい。(153頁)

「厳密な因果関係の分析を避けて、文化と政策の関係をより緩やかに論じることは無意味ではない」という宮里の意見に評者は概ね賛成である。しかしその場合、Bergerの論文におけるように、「変化」を説明するのではなく「継続性」(persistence)を説明しようとする際には、因果関係の抽出はよりいっそう困難を極めるものとなる。また「政策決定者あるいは世論から表出される言説」から因果関係を導き出す手法にも限界があることはきちんと認識されるべきだろう。