P・W・シンガー『戦争請負会社』書評

sunchan20042005-08-10

戦争請負会社

戦争請負会社

これほど内容のまとめに手間をかけた本はない。しかしそれだけの作業に値する本である。本書の原典Corporate Warriors: The Rise of the Privatized Military Industryは、2003年に出版され、同年に、アメリ政治学協会から「2003年最優秀政治学図書」としてグラディス・M・カメラー賞を受賞している。本書は、理論と実践の両方において、国際政治学に新たな研究領域を切り開く内容になっている。国際政治にせよ開発問題にせよ人道的介入の問題にせよ、この新たに出現した画期的な現象を素通りして論じることはもはや不可能となったと言っていいだろう。

この「軍事の民営化」という現象は、冷戦後、とりわけ東西両陣営の2超大国からの支援が得られなくなった地域において顕著となったものであるが、この民営軍事請負業(Privatized Military Firm, PMF)が急成長を遂げる決定的な契機となったのは、2003年に始まったイラク戦争であった。2004年の夏までに、民間軍事要員は二万人ほどに達し、米国を除く最大の兵派遣国である英国の派遣兵数が9000〜11000人であることを考えると、この数は尋常ではない。これは非米国人の派遣総兵数に匹敵する数となっている(8頁)。シンガーが言うとおり、「イラクの作戦は、民間の軍事支援がなければ維持できなかった」(10頁)というのが現実である。

また、数のみならず、依頼される業務の範囲も広い。兵站や燃料補給や武器整備・管理などの後方支援や軍事コンサルタントといった業務のみならず、例の「アブグレイブ虐待事件」でも民間軍事要員が関与していたことが明らかになっている。つまり、「尋問という軍事上重要な仕事までアウトソースされていた」ことを意味する(中村美千代「犠牲続出、現代の「傭兵」 民間軍事会社とは何か」『論座』2004年8月号)。また、2004年3月末にファルージャで残虐な殺され方をした米国人4人はPMFの社員であったことが判明している(同上)。

国民国家の誕生以来、外注化や民営化の可能性など一度も論じられたことのない唯一の領域は軍事であった。「市場にすべてを任せるべきだと考えがちな、最も過激な自由思想家たちでさえ、軍隊だけは例外にした。」(32頁)その最後の砦で今、国家の統制を離れてますます広い範囲の軍事業務が民間に委譲されている。PMFとは何なのか。今軍事の領域で何が起こっているのか。それは何を意味するのか。そしてその現象には、どのような利点と問題点があるのか。本書の内容に沿って以下にそれらを検証する。

1.PMFとは何ぞや
まずPMFとはどのような業務を請け負うのか。シンガーによれば、それは「軍事技能の提供を専門とする法人で、それには、戦闘作戦、戦略計画、情報収集、危険評価、作戦支援、教練、習熟した技能などが含まれている。」(34頁)PMFは活動する場所と業務内容によって大きく三つに分類される。交戦地帯に近い順から、①軍事役務提供企業、②軍事コンサルタント企業、③軍事支援企業、である。

①は、「戦域の最前線で、実際の戦闘にたずさわる業務を提供し、戦闘部隊や専門家(たとえば戦闘パイロット)として、あるいはまた野戦部隊の直接指揮や統制に任ずる。」(190頁)つまり、実際に戦闘に加わって依頼主の敵と戦うことになる。アンゴラシエラレオネにおけるエグゼクティブ・アウトカムズ社の行動がこれに該当する。独立した部隊一式を提供することもあれば、特殊部隊を依頼主の現地軍に分散配置して、現地軍の能力向上に劇的な効果を与える場合もある。(本書では、後者は「背筋をしゃんとさせる」効果と表現されている。)「新たな傭兵」として最も論議を呼んでいるのがこの分野であり(192〜193頁)、数はまだ少ないながらも、この企業の研究が焦点を当てるのも専らこの分野である。

②は、「依頼主の軍隊の作戦や再編に必要な助言や訓練を提供」し、また「戦略的分析、作戦上の分析、さらには組織上の分析をも提供する。」(194頁)①とは異なり、実際に戦闘に参加することはない。しかし、その影響力の大きさは①に引けをとらない。「直接の戦闘行動には関わらないにしても、現代の軍事行動にあっては、知識の獲得や訓練に精励することが、火力を利用することと同様に価値あることである。」(同上)クロアチア軍やボスニア軍に対するMilitary Professional Resources Incorporated (MPRI)社の業務などがこれに当たる。

最後の③は、PMFの業務としては最も低い注目しか浴びておらず、その業務内容における軍事色の薄さから、一般にはまだPMFの一部門として認識されていない嫌いがある。ところが、この③こそ軍事の民営化の中で最も成長著しい部門であって、その社員規模と総売上は、①と②の分野など足元にも及ばない。その仕事は、「兵站、情報収集、技術支援、補給、輸送など、殺傷行為を含まない助力や補助」(197頁)を含み、一般に後方支援と呼ばれるものを提供する。例えば、ハリバートン社の傘下にあるBrown & Root Services (BRS)社は、バルカン半島の米軍に食糧の100%、車輌の整備の100%、危険物の取り扱い100%、給水の90%、燃料供給の80%、建設機材と重機の75%を提供した(289頁)。兵站や輸送業務といった後方支援は、前線での戦闘の帰趨を決定する重要な要因であることに疑問の余地はない。また、BRS社は、コソボ紛争の際に難民キャンプを建設・運営し、今後その顧客の幅が国際組織や人道主義団体へと広がる可能性を秘めている。2000年10月にロシアの原子力潜水艦クルスクが沈没した時、BRS社の子会社はロシア海軍から沈没船引き上げの契約を獲得しており、また同社は、同時にロシアの大陸間弾道ミサイルICBM)の解体作業を手伝う業務を請け負っている。「注目すべき点は、この業界が核兵器の分野に初めて入ったことである。」(293頁)

PMFの活動範囲はどうか。一般にはこのような企業は、アフリカ諸国や旧ユーゴなどの限られた紛争地域においてのみ活動するものと考えられがちであるが、それは誤りである。PMFの最大の顧客がアメリカであることを考えると(9・11以降、唯一劇的な成長を遂げた産業)、そしてPMFがアフリカや東欧のみならず、中東やアジアでも同様に活動範囲を広げていることを考えるならば、この産業はグローバルに拡大を続けていると見なされなくてはならない。既述のとおり、ロシアの核兵器解体にも関与し、さらにはオーストラリアでは兵の募集さえも民営化された(44〜45頁)。英国ではPMFが正規の英国海軍に訓練を与えている(40〜41頁)。2001年に始まったアフガニスタン戦争においても、民間企業は活躍した。新政権樹立後、カルザイ大統領の警護を担当しているのは、元米国特殊部隊員のダインコープ社社員である(50頁)。もはやPMFは国家の正規軍と同等の、場合によってはそれ以上の軍事専門知識を有する団体となってしまっているのである。

海外における活動のみならず、米国内でもPMFの成長は著しい。それは民間警備会社の成長である。軍のみならず警察もまた、その機能と規模の削減を余儀なくされ、その結果として民間の警備会社がその空白を埋めているのである。警備の仕事以外にも、例えばワッケンハット社は、13の州で刑務所を経営している。さらに同社はSWAT(警察特殊火器戦術部隊)をもいくつかの州に提供し、それらの州で核施設をテロリストから守る業務を請け負っている(148頁)。

次に、PMFの実態を言い表す言葉として「現代の傭兵」というものがある。しかしながら、果たしてPMFは傭兵と共通の性格を有しているのであろうか。

まず、決定的な違いは「軍事業務の法人化」(94頁)である。傭兵は個人として専ら経済的利得のために雇われて戦闘を行い、集団で協力して戦うことはほとんどない。ましてや傭兵が組織合理的に行動することは考えられない。また傭兵は、戦闘に直接従事する者が大半であるため、軍事コンサルタントや後方支援といった業務を行うことはまずない(98頁)。特に後方支援業務は組織的な分業の下でなされなくては意味をなさないので、これはPMFに特有の業務だと言えるだろう。

傭兵は多角化した組織でもない。一度に一つ以上の場所で作戦展開する能力はごく限られていて、一般には、一度に複数の敵には対応できない。同様に、彼らは兵站や支援業務については、主人側の組織に頼りきっている。最終的に傭兵は軍事外注化のなかにあってどうでもよいことにしか対応できず、決して民営化が必然的にもたらす責任をすっかり肩代わりするといったものではない。(98〜99頁)

こうして「戦争の犬たち」と呼ばれる非能率的な傭兵は、現代の戦争においては大きな影響力を持ち得ない。傭兵を雇用する国の正規軍が傭兵に仕事を肩代わりされたり、傭兵の仕事に大きな期待をかけたりするといった例は報告されていない。

他方、法人企業化されたPMFは、「通常は役員会と株式保有を含む明快な階層組織を有する形に秩序立てられている。」(104頁)グローバル資本主義市場経済の中での、他業種の企業との合併や吸収によって、潤沢な資金を持つ現代のPMFは、冷戦の終結によって破綻した、またはしつつある国家が持っている力を大きく凌駕してしまったのである。株式会社として市場の中で正当性を与えられたPMFは、現金による報酬しか信用しない傾向のある傭兵に比べて、極めて多様な取引や契約が可能となっている。また傭兵と違って、一度に複数の軍事業務を広範囲にわたって行うことができるのである(104〜105頁)。国際法で禁じられている傭兵がその存在や行動を公の目から隠そうとするのとは対照的に、PMFはいまや市場の信任を受けて堂々とその活動をグローバルに展開しているのである。

2.PMFの発達が意味するもの
こうした企業が著しい発展を遂げていることの意味と背景はいかなるものであろうか。 まず真っ先に挙げられるのが、国家による暴力の独占の終焉である。

二十世紀の初めには、暴力手段の国家支配は何世紀にもわたるプロセスを経て制度として確立していた。しかし、国家権力による独占は、発展には長くかかったが、短命だった。(51頁)

グローバルな軍事業務請負業の成長とともに、たとえば貿易や財政といった国際的分野で起きたように、安全保障領域における国家の役割は特権を剥ぎ取られてきている。(51〜52頁)

民営軍事請負業という産業の創設によって、国家、(国連のような)組織、(NGOのような)団体、企業そして個人ですらグローバルな市場から高度の軍事能力をリースできるのである。(52頁)

しかしながら、長い歴史を振り返ってみるならば、むしろ「国家による暴力の独占」は例外であるとシンガーは言う。シンガーによるジェフリー・ハーブストの引用が言うとおり、「二十世紀以前は、暴力の私的供給が国際関係の通例だった」(56頁)のである。

こうして国家の軍事に対する統制は、PMFの登場と発展に伴ってますます低下しつつあり、そこからさらに進んで国家そのものの正当性と威信を低下させる結果をもたらしている。端的に言って、国家が誕生して以来、国際関係の堅固な前提の一つであり続けてきた主権国家システムがいま挑戦を受けているのである。

政府が軍隊の募集と維持を通じて確保している国民の安全保障という役目の一部を部外者に委譲するとき、政府は本質的な責任を放棄していることになる。さまざまな形の大衆保護が私的手段の雇用を通じて与えられる場合、社会の成員は国家の一員であるという権利によって安全保障を享受するわけではない。むしろそれは、企業の契約要素、その収益性、契約者双方の利害関係の三点が一致した結果なのである。こうして市場化されるとき、安全保障はしばしば共同の価値ではなく、私的手段と目的に置き換わる。(中略)政府が安全保障のさまざまな側面に責任を負わなくなったとき、国民が国家に忠誠であるべき理由の根底が弱くなる。実際の話、政権がその軍事力の独占の維持があやしくなる度合に応じて、政権の正当性そのものに異議が出てくる。(439〜440頁)

もう一つの大きな意味は、経済力が軍事力に直結する度合いが一挙に高まったことである。本来的に経済力と軍事力は別個のものである。歴史を振り返れば、この二つは相互に必要とし合ってきたことに間違いはないが、経済力と軍事力がゼロサム的関係になり得ることもまた歴史が証明するところである。ところが、PMFの登場によって、経済力は公開市場でPMFを雇い入れることで、即座に軍事力に転換することが可能となった。「別な言い方をすれば、PMFの意味は、鋤は今までよりも簡単に刀に鋳直せるということにある。」(337頁)このことは、戦争をすることのコストが低下して、より戦争をしやすくなる恐れがあることを意味する、とシンガーは警鐘を鳴らす(341頁)。

3.PMF登場の原因
次に焦点を当てなくてはならないのは、なぜこうした現象がいま起こっているのかという問題である。シンガーは以下の3つを理由として挙げる。

①冷戦の終焉。②軍事行動の性格の変貌(多角化・技術化・文民化・犯罪化)。③民営化革命。

①冷戦が終結してソ連邦が消滅すると、それまで冷戦の代理戦争が行われてきた地域の各々の勢力は有力な後ろ盾を失うこととなった。とりわけアフリカ諸国においては政府側の力の衰退が著しく、反乱勢力に対してなんら有効な手を打てずにいた。冷戦終結直後、内戦の勃発数は一挙に二倍になり、95年の時点では五倍にも膨れ上がっていた(113頁)。すなわち、崩壊の危機に瀕した政権側が、パトロンである大国の支援を失い、また無力な国連を当てにすることもできず、残された唯一の手段としてPMFに助けを求めたのである。冷戦終結PMFへの需要を急激に高めたのはこういう事情による。

では反対に供給の側を見てみるとどうだろうか。冷戦の終結によって「平和の配当」を求める機運が高まった先進国では、軒並み軍事費と軍の規模の大幅な削減が行われ、それによって軍事の専門知識と特殊な能力を有した者たちが余剰労働力として市場にあふれ出したのであった。

冷戦の半世紀は歴史的な軍備過剰の時期だった。冷戦の終了は全地球規模の軍備縮小の連鎖反応の引き金を引き、国家の軍隊は一九八九年に比べざっと七百万人もの兵士を削減した。削減が特に大きかったのは旧共産圏で、ソ連邦とそれに依存していた国の軍隊の多くが本質的に消滅した。西側列強のほとんどもまた軍の抜本的な削減を行った。米国軍は冷戦時のピークに比べ三分の一ほど兵士が減っているし、英国陸軍は過去二世紀で数では最も少なくなっている。(118頁)

とりわけ軍事支援、すなわち兵站や施設・武器の管理などの後方支援を担っていた部署は大幅に削減され、その削減の対象となった人員がPMFに吸収されることとなった。すでに国軍の中で経験を積んだ軍人らが雇用対象者であるため、PMFには訓練費用が一切かからない。国が大金を投資して募集・(再)訓練した兵士をそのまま引き抜くことが可能なのである(156頁)。

冷戦終結後に市場にあふれ出したのは兵士だけではなかった。もはや必要性のなくなった高度な武器が安価で公開市場に売りに出され、いまや個人でさえも戦闘機や戦車が買える時代になってしまったのである。このことが意味することは大きい。冷戦期はいかに弱小な国家であろうとも、そうした兵器を入手できたのは政府の側のみであった。しかし民間の会社や反乱勢力にもそのような兵器が入手可能になった現在、国家と社会の均衡に大きな変化がもたらされつつあるのである(120頁)。

②軍事行動の性格が変化したことについて。第一にそれは「軍事行動の多角化」を意味する。軍事力が公開市場で簡単に手に入る時代になった今、国家と社会の間に保たれていた均衡が崩れ、政府によってストックされていた力が数多の主体に分散されてしまったのであった。また、情報戦や諜報戦に必要なハイテク技術も、金さえあれば誰にでも手に入る時代になった(201頁)。

過去の軍事技術の飛躍は、国家の支配下にある大きな組織のなかにまとめられたときにのみ有効であったが(鉄道や火砲のように)、インターネットや遠隔通信のような新しい技術は、分散していたり境界を超えていたりするときにのみ最大の効果を発揮するのである。(135頁)

PMFの成長によって軍事力が民間に拡散されると、これまで自明のものとして区別されてきた軍人と非軍人の境界が曖昧になる。すなわち「軍事行動の文民化」である。このことがもたらす弊害はとてつもなく大きい。これはのちほどPMFの問題点についての箇所で言及することにする。

「軍事行動の技術化」については疑問の余地はないだろう。兵器システムがますます複雑になり、最高度の戦いを実行するための複数の民間会社の助けが必要となるのが通例となっている。世界最強と言われる米軍でもこのことに何ら変わりはない。「たった一つの米国部隊が作戦を行うのに異なる五つの会社が必要になることも多い。」(138頁)

最後に「軍事行動の犯罪化」が挙げられる。冷戦の終結と同時にパトロンを失った各勢力は、新たなかつ実入りのいい資金源を見つけ出さなければならなくなった。

簡単に言えば、こうした集団が生き残りを望むなら、収入を上げること(純然たる略奪、第一次産品の生産、非合法な交易、など)を、活動の要としなければならない。紛争集団にとって特に実入りのいい分野は、昔も今も国際的麻薬取引である。(140頁)

このため、かつてのイデオロギー的・政治的な紛争の根本要因が冷戦の終焉によって取り除かれたあとでも、資金源の獲得をめぐって紛争が続いているのである。「こうした集団の多くは元来の結成理由が意味を失ってしまった後もずっと暴力活動を続けている。」(同上)

以上のような軍事行動の性格の変化がPMF産業の急成長を下支えしているのである。

PMFの登場を可能にした最後の要因として、「民営化革命」がある。1980年代に急成長を続ける「日本株式会社」に対抗するため、アメリカの巨大企業は大胆な外注化を開始した。これが大成功を収め、「外注化はまもなく支配的な企業戦略となり、それ自身が自ずから巨大産業になった。」(146頁)そしてそれが国防の分野にも及んでくるのは時間の問題であった。PMFが関心の的になるのも必然的な結果であった。

多くの国防幹部たちはじかに一般産業の成功を指さし、軍隊も企業のやり方を真似すべきだと主張した。当初は、データ処理とか健康サービスとか、民間ですでに行っていることを軍が重複してやっているだけの分野で始まった。しかし時の経過とともに、効率をよくするためならいかなる分野も最初から除外するのはまちがいだという気持ちが育っていった。(146頁)

4.PMFの利点と問題点
ここまでのところで、PMFとはいかなるものであるのか、そしてそれが勃興してきた背景にはどのような事情があるのか、について把握できたものと思う。では最後に、PMFが発達することでもたらされる利点と問題点を再び本書の内容に沿ってまとめてみたい。ここでは感情的な議論に流されず、冷静で客観的に現実を見る必要がある。というのも、無力な国連と介入意欲を失った大国に代わって紛争解決に一役買っているPMFを「救世主」だと褒め称えるものから、他方では利益のためなら人権蹂躙も物ともしない犯罪者集団としてひどく嫌悪するものまで、両極端の議論が存在しているからである。しかし、事実を詳細に見れば、両者とも誤っていることがわかるだろう。

まず、効率性と作戦の展開スピードにおいて、現地の腐敗した国軍に比べてPMFのほうがはるかに上回っていることは紛れもない事実である。例えばシエラレオネ政府に依頼されて戦ったエグゼクティブ・アウトカムズ社は、同国の年間軍事予算のわずか三分の一の経費で反乱軍を撃退し、百万を超える難民を帰還させた(229頁)。

同社が「人種差別主義者である殺し屋の傭兵軍団」であるという非難を浴びていたまさにそのとき、シエラレオネの「戦争に囚われた子供たち」のような人道団体が、同社の仕事に正式に感謝を表明していたのだ。(205頁)

PMFの効率性は多国籍軍による作戦と比較するとよりいっそう明白になる。

国際組織を妨げがちな手続き上の支障がないPMFは、人を雇う際にもより能力のある人々に的を絞ることができ、多国籍軍にありがちな国籍の違いなどによる内部的な緊張に脅かされることも少ない。装備もより優れている公算が大きく、よりすばやい、より決定的な行動が取れる。(359頁)

そしてしばしば引き合いに出されるのが、やはりシエラレオネにおけるエグゼクティブ・アウトカムズ社の例である。

民間企業エグゼクティブ・アウトカムズ社の作戦は、規模と経費の点で国連の作戦の約四パーセントにすぎなかった。さらに重要なことに、民間企業の作戦のほうがはるかに成功だったと一般の人々は考えている。反乱軍をものの数週間で敗北させ、選挙を行えるに十分なまでに国の安定を回復した。国連だと何年もかかる仕事である。(359頁)

また現在、戦争の後始末と占領が続いているイラクにおいても、PMFは輸送隊を護衛し、国連やその他の国際組織の事務所や施設を反乱軍の攻撃から守っている。「イラク駐在の米国高官やCPA(連合暫定占領当局)長官のポール・ブレマーでさえ、民間人パイロットの操縦するヘリコプター三機を有する民間軍事派遣隊に護衛されていた。」(10頁)もはやPMFの存在なしには、戦争のみならず占領統治も円滑な民主体制への移行も不可能な情勢になってしまっていると言ってよい。

またシンガーは、クーデターの恐れによって不安定化しやすい途上国の政軍関係を安定化させる機能もPMFは持っていると論じている。かつて大著The Soldier and the State: The Theory and Politics of Civil-Military Relationsで政軍関係を論じたサミュエル・ハンティントンは、政軍関係が安定する条件として二つを挙げている。それは「軍の能力と職業意識を高めること」そして「軍の監視を実施する制度を強化すること」であった(394〜395頁)。そして軍事コンサルタント企業は、この二つの条件の実現に貢献できるとシンガーは述べる。

他方でPMFの隆盛がもたらす弊害も多く存在する。第一に、前述したように、PMFが国家の支配から解放されていることにまつわる問題である。マックス・ウエーバーによれば、国家にその存立を成り立たせしめているのは、「秩序の保持において、物理的力の合法的使用を独占する権利主張の確保に成功すること」(335頁、下線評者)である。しかしながら、これもすでに述べたように、軍事力は現在グローバルに拡散し多角化している。もはや軍事力は国家にストックされるものとしての性格を失い、民間の国際的大企業から果ては富裕な一個人に至るまで、誰もが公開市場から入手できるものとなってしまった。そうなると国家の軍に対する統制は失われ、いざという時に軍事力行使の継続を保証できなくなる可能性もある。

また、抑止や同盟などもともと微妙な要素の上に成り立っている軍事的均衡が、PMFが軍事力として介入することによって、いっそう複雑なものになり、予測が困難となる(342頁)。これは先ほどの安定化させる要因としてのPMFとは全く反対に、むしろ不安定化要因となってしまう。自分の勢力よりも軍事的に劣ると思っていた敵対勢力が、ある日突然PMFを雇い入れることでその戦闘能力が大幅にアップしてしまうことを考えただけでもその不安定な状況は想像できるだろう(345頁)。現にそれがアフリカ諸国や旧ユーゴにおいて起こったことであり、シエラレオネアンゴラの反政府勢力、旧ユーゴにおけるセルビア人に不意打ちを食らわせることができた要因でもあった。また同盟関係において、PMFという選択肢があるおかげで、国家間の依存度が弱まる可能性もある。

第二に、2で述べたように、PMFの登場によって経済力を軍事力へと変換するのが容易になり、戦争のコストを低下させる効果をもたらす。この「軍事力と経済力の互換性」は、グローバル資本主義の中での投資や貿易が戦争勃発の防波堤になり得るとみる自由主義者の議論に疑問を生じさせかねない。PMFグローバル資本主義の越境性を利用して成長を続けているのである。たとえ需要と供給が急増していようとも、PMFが「紛争の存在そのものに依存する特異なタイプの会社」(342頁)であるという事実には留意しておかねばならない。
第三に、PMFはあくまで利益を追求する企業であるということである。割に合わないと判断すれば、依頼主の窮状に関係なく撤退を決断するかも知れないし、過剰請求の恐れもある。現にそういった事例は多数知られている。戦闘地域における特殊な業務であるため、依頼主はPMFの行動を監視することはできないし、そもそもそのような能力がない。最悪の場合、契約更新のために紛争を長引かせようとする動機が働くかも知れない(366頁)。そうなると、そもそもPMFを雇うことが本当に経費の節約になっているかどうかも怪しくなってくる(307頁)。また仮にそのような不正が発覚したとしても、PMFを裁く法は確立していないし、もし仮にそのような法が成立した場合、他の国、すなわち法の網の目が到底届かないような国に会社を移転してしまうことも不可能ではない。紛争が起こっている国の法体系はほとんど機能していないので、PMFがその行動を縛られる心配もない。

また、国軍の兵士ならば制約を受けるはずの軍法も彼ら民間人には適用されないため、人権侵害などがあった場合、PMF社員を裁く法律がない(ちなみに傭兵は国際法で禁じられている)。また仮に裁くとしても、責任の所在は曖昧で、誰が責任を負うべきかのコンセンサスが存在していない。(「実際にその行為をした兵士か?政府か?PMFの個々の社員か?軍事請負会社全体か?その依頼主である石油会社か?依頼主のオーナーである株式保有者か?それとも、殺人を指示した企業に金を払って助けることになるガソリン購入者であるその顧客か?」430頁)

第四に、この「責任の曖昧さ」というPMFの特徴を逆に利用して、政府が公式の政策の代替手段としてPMFを雇うことができる点である。ボスニアでMPRI社が軍事コンサルタントを務め、その業務が明らかにアメリカの政策目的と合致していたにも関わらず、この会社の行動に対して批判が出たとき、米軍は「我々とは無関係の民間企業の仕事」と言うことができたのである(410〜411頁)。つまり、議会で到底認められないような軍事行動についても、立法府は独自に民間企業にその任務を請け負わせることができることを意味する。

要するに、民営化政策に移ることの利点は、大衆の論議立法府の支配を避けることによって、政府執行機関が今よりはるかに「合理的」な外交政策を展開できるかもしれないということだ。正規軍を危険な目にあわせずに地政学的利権を押さえられる。しかも、民主主義制度がときに陥る統治の非能率も回避できる。(411〜412頁)

しかしこうした代替手段としてのPMFの利用は、効率性と引き換えに種々の民主主義制度を迂回することになる。

民営化された政策実行担当者を用いるということは、政府の行き過ぎを抑えて均衡をとるという民主主義制度に不可欠な議会と大衆による検討を欺くものである。それは長い時の試練を経てつくり上げられた抑制と均衡の制度なのだ。そのような制限があることには根拠がある。それらを迂回していこうとすることは、往々にして厄介なことになったり、否定的な想像を招く可能性がある。(414頁)

この代替手段としてのPMFのもう一つの否定的影響は、たとえ政府や国軍が関係を否定したとしても、敵側は決してそうは見なさないことである。米軍がアメリカを本拠とするPMFの活動との関係を否定しても、敵側は米軍を報復の対象にし、PMFを米国政府の意図に通じた企業と見なす。それによって紛争地帯に展開している米軍は予想外の脅威を受けることになり、逆に公式の政策が歪められてしまう可能性が高い(412〜413頁)。利潤を目的に遂行されるPMFの活動が、正規軍の活動に大きな制約を課すことになりかねない。

第五に、利潤を追求する企業であるPMFに対して、その顧客の選択に対する制限を課すことが不可能である点である。有名なPMFの幹部は、独裁者や悪評高いリーダーと契約を結ぶことは企業の名前に傷がつき、その後の契約を不可能にするから、本国が認めた正当な人物としか契約を結ばないと言っているが(434〜435頁)、事実はそれとは異なっている。自社が契約しなければ、他国の無名なPMFがその穴を埋めるだけの話であり、そうした懸念が顧客の怪しげな経歴を不問にしてしまうのである(434頁)。そもそも何が「正当なのか」という基準自体が曖昧で、PMFが関与する紛争も、その正当性をめぐっての争いであることが多い(436頁)。そのような状況で、どちらが正当な勢力なのかを判断することは容易ではない。このことがもたらしかねない最悪の結果は、政権側についたPMFと反政府勢力側についたPMFが代理戦争をしてしまうことである。

最後に、PMFの登場が伝統的な軍人モラルに及ぼす悪影響が指摘されている。正規軍所属の軍人が持つ職業意識が、PMFに引き抜かれることで利潤追求の動機と妥協させられてしまう可能性があり、国家への忠誠心もなくなりかねない。「企業が主としてその本国の軍から社員を引き抜いて他国のために働かせる場合に、このことはとりわけそうである。」(399頁)

軍の元将校が公金で得られた専門知識や訓練をタネに金儲けしているのを見て、今軍隊にいる多くの人々が心配するのは、軍の指導者が持つ動機の善良さに対する大衆の信頼や、軍に対する尊敬が先細りすることである。退役の軍人たちもまた軍の年金制度が問われることを心配している。大衆が退役軍人に年金の形で払い戻ししているまさにその仕事で利益が得られているわけだから。(400頁)

5.結論――拡大するPMF市場
以上、本書の内容を自分なりにまとめ、要約してみた。まず言えることは、この民営軍事請負業の勃興という現象は、国際関係論が長らく前提としてきた主権国家システムに挑戦する強力な一要素だということである。主権国家システムの事実上の崩壊は、これまでに資本主義経済におけるグローバリゼーションとの関係で論じられることはあっても、最後の砦と言っていい安全保障の領域が大幅に民営化され、それに伴って主権国家の正当性と威信が危機に瀕している状況についての報告は、極めて衝撃的であると言えよう。

PMF市場は今のところ全く衰退する気配を見せていない。無力な国連は相変わらず資金不足に苛まれ、地域共同体もあらゆる紛争に介入する余力はない。先進国、とりわけ米国は自国の軍隊を遠い外国に派遣することにますます政治的に敏感になり、国益にとっての戦略的重要性と世論の「嫌戦感情」の間で大きく揺れ動いている。そのような力の空白を埋められるのは、現時点ではPMFを他においてない。予見できる将来において、PMF産業は成長産業であり続ける可能性が高い。

しかし他方で、4で詳細に論じたとおり、そこにはいくつもの問題点が付随している。成功例だけを基準にしてこうした現象を手放しで容認することはできない。シンガーが最終章でいくつか提言しているように、公的な監視制度が必要である。いまだ存在していないPMFの監視と規制のための法律が作られる必要があるだろうし、あまり有効とは思われない現在の認可過程も修正する余地があると思われる。そして何よりも、このPMFについての現状を皆が広く深く知っておく必要があるのではないだろうか。

既出の中村美千代論文において、イラクにおいてPMFは、CPA(連合暫定占領当局)に使用できる武器を制限されていたことが書かれている。このことは恐らくこのシンガーの本が政府の政策に影響を及ぼしたからではないかと推測する。しかしながら、軽武装しか許されないPMFの活動は必然的に制約を受け、その結果が冒頭で述べた米国人社員4人の虐殺につながった。また、この論文内でインタビューに答えているシンガーは、PMFに対する制限には政治的な理由もあると言う。

イラクに駐留する米軍兵士の数が十分かどうか政治的な論争があり、ペンタゴンが「兵士の人数は十分だ」と主張している中で、重武装の民間人が周りにいれば、その主張が覆されることになる

PMF産業を一挙に成長させたイラク戦争の中で、「このPMFをいかに活用(規制)すべきか」についてはまだまだ模索の段階にある。この産業が持つ画期的性格を正確に認識しつつ、有効な監視制度を急いで確立せねばならない。