川上洋一『クルド人 もうひとつの中東問題』書評

クルド人 もうひとつの中東問題 (集英社新書)

クルド人 もうひとつの中東問題 (集英社新書)

第一次世界大戦によってオスマン・トルコ帝国が崩壊してから今日まで、国際政治のパワー・ゲームに翻弄されてきたクルド民族の小史である。クルド人とは、トルコ・イラン・イラク・シリアに跨って居住している、アラブ、トルコ、ペルシャに次ぐ四番目に大きな民族で、その数は2000万人を優に超える。湾岸戦争では、イラクにおける反体制勢力の有力な一要素として注目を浴びた。しかしながら、クルド人が住む4つの国のいずれにおいても彼らは反中央政府の立場であるため、独自の国家を持つことはいまだかつて許されていない。(1946年1月に、イランを占領していたソ連軍の庇護によって、イラン北西部に史上唯一のクルド人国家「クルド人民共和国(マハーバード共和国)」が設立されたが、ソ連軍の撤退に伴って同年12月にイラン軍が攻撃、悲願のクルド国家はわずか11ヶ月という短命に終わった。)

また、クルド人が住むトルコ、イラン、イラク、シリアはそれぞれに対立関係を抱えているため、「自国のクルド人を抑圧しながら、相手国のクルド人を陰に陽に支援する」(95頁)のが、最近までこの地域の常態となってきた。

イラククルド人は、有力な反サダム・フセイン勢力としてアメリカの支援の対象となってきた。しかしながら、アメリカの支援はあくまで「敵の敵」に対するものであって、クルド民族主義へ同調していたわけではない。アメリカの支援は「あくまでフセイン政権の不安定化を促進するところに狙いがあった。湾岸戦争終了後にやはりフセイン政権に叛旗をひるがえした(クルド問題とは全く無関係の)イラク南部のイスラムシーア派に対する支援と同列のもの」(42頁)であった。それゆえ、「フセイン政権が崩れ、その後に米国が是とする政権がイラクに出現して、米国がクルド保護から手を引き、クルド人が再び中央政府と厳しく対決しなければならない時期がくることを、イラククルド人は恐れている。皮肉なことにフセイン政権が、「クルド地域政府」存続の保険の役を果たしているのである。」(43頁)

さらに、アメリカはNATO加盟国であり戦略的に重要な同盟国であるトルコに波及することを恐れて、イラククルド勢力を支援することに及び腰だったという経緯もある。トルコ建国の父で初代大統領のケマル・アタチュルク以来、トルコは「自国にクルド人なる民族は存在しない」という建前に立っており、公の場でのクルド語の使用を禁じ、自立の動きを見せたクルド人に対しては徹底して弾圧を加えてきたからである。

クルド人にとって20世紀は悲運と内紛に満ちた世紀だった。中東の産油国ばかりが注目を浴びる日本にとって、クルド問題は確かに「もうひとつの中東問題」である。それは、国家、民族、イスラムがそれぞれ複雑に重なっているこの地域の象徴とも言える大問題であり、今後も当分は不安定要因として中東情勢に暗い影を投げかけ続ける。