Gene Sharp, The Politics of Nonviolent Action, Part One: Power and Struggle, MA: Porter Sargent, 1973.
本書の内容には恐れ入った。ヒーローやヒロインが生まれやすい「暴力的闘争」に比べて、「非暴力的行為(nonviolent action)」の歴史はあまりにも無視され続けてきたと言い、後者が前者に比べて多くの利点を持っていることを説いている。すごいのは、非暴力的行動の提唱を理想主義とみなしてその現実的力を過小評価する論を全く寄せ付けないほど、戦略という視点からそれが支持されていることである。著者のジーン・シャープが「非暴力的戦争版クラウゼヴィッツ(“the Clausewitz of nonviolent warfare”)」(iii頁)と称される所以である。
非暴力的行為には多くの歴史的事例があり、その形態も様々である。戦前ではボルシェヴィキがロシア革命を起こす前にツァー支配下のロシアで起きた非暴力的ストライキ、ナチス占領下のノルウェーにおける不服従運動、最も有名なものとしてはイギリスの植民地下にあったインドにおけるガンジーの反英「非暴力・不服従運動」があり、戦後では共産主義圏における反ソヴィエト非暴力的行動(1953年の東ドイツにおける非暴力的抗議運動、1956〜1957年のハンガリー革命で起こった大規模デモなど)、50年代半ばのアメリカにおけるアフリカ系アメリカ人によるバスボイコット運動が例として挙げられている(78〜97頁)。
まず著者は、政治権力の本質に対する見方として二通りのものがあるという。一つは、国民を、彼らが所属する国の政府やその他の階層システムによる好意、決定、支援に依存した存在としてみなし、政府の権力は最上層の少数者から生じ、またその権力は必然的に長続きするもので、そう簡単には崩壊しないと見る立場である。それとは全く反対に、政治権力は、政府や階層システムの側がむしろ国民の好意に依存しており、権力は社会の多くの源泉から生じるもので、またその権力は非常に脆弱で、常に支持の源を確保していない限り存在できないものと見る立場がある。本書の著者は、当然ながら後者の権力観に立ち、たとえ独裁者であっても、その政権が存続できるか否かは国民の協力と支援の如何にかかっているという(8頁)。裏返していえば、国民の側が協力や支持をやめてしまった場合、権力者の側は窮地に立たされると考えられている。
また、「人はなぜ従うのか?」という根本的な問いを発してその要因と考えられるものを列挙している(18〜24頁)。その中で、国民は非暴力的行動に対する知識や自信がないために、望まない服従をしてしまうのだと述べている。著者が非暴力的行動の歴史的事例の豊かさに目を向けるよう読者に訴えているのも、このためである。前述の権力観に立ちながら、非暴力的行動の有効性を信じていたガンジーを、著者は平和主義者としてではなく、政治的戦略家(political strategist)として描いている。
また、「非暴力」であるからといって、それは平和的な交渉や妥協や和解とは根本的に異なることも指摘されている(65〜67頁)。基本的にここで言われている非暴力的行動とは「強制行動(coercion)」であり、自らの政治目的の達成のために相手を窮地に立たせようとする点で平和的な話し合いとは性質を異にするものである。
また、社会への悪影響を恐れて非暴力的行動へと踏み出すのを躊躇する人が存在するが、著者によれば暴力的反抗のほうがよほど社会にとっては破壊的であるという。また非暴力的行動のほうが、敵陣営や第三者からも支持が得られやすく、これは暴力的反抗ではあり得ないものであると述べている(69頁)。
本書で著者が言いたいことは明白であり、論理の整合性と事例の多さにおいて見事に書かれていると言えるだろう。しかし、恐らく予測できるのは、この非暴力的行動の失敗例も数え切れないほどあるのだろうということである。ナチス支配下でも非暴力的行動は可能だったとノルウェーの例を引き合いにして論じているが、しかしそれはナチスそのものを打倒することはできなかった。一般に考えられている以上に非暴力的行動の効果があることは本書からよくわかったが、恐らくそれだけでは暴力的行動に訴えることの魅力は消えはしないだろう。また、ある本によれば、独裁者の方が民主主義国のリーダーよりもトップの地位にとどまる期間がはるかに長いことを裏付ける数字があるようだが、これと非暴力的行動の有効性をどう関連づけたらよいのだろうか。やはり、その有効性には「国内政治体制の性格」という要因が影響してくるのだろうか。
この非暴力的行動の威力は、著者が事例としてあげている時代よりも、現代のほうがはるかに大きいものとなるだろう。この本は1973年に書かれたものであるが、本書の中で、政治的に成熟しかつ効果的な非暴力的反対運動にとって、ラジオは重要なものとなったと書かれている(100頁)。このことは、マスメディアとインターネットが発達した現代においては、なおさら言い得ることだろう。いかなる権力者といえども、磐石の支持基盤を半永久的に保つことはもはやできない。
70年代という時代状況で非暴力的行動についてこれほど刺激的な議論があったとは知らなかった。大御所のThomas C. Schellingが前書きを書いているのも頷ける。同じ頃、日本の平和運動は一体何をしていたのだろう…。イデオロギーなど関係ないこういう高度な議論も存在していたのに、誰も読んでいなかったのだろうか。