猿谷要『物語アメリカの歴史―超大国の行方』書評

物語アメリカの歴史―超大国の行方 (中公新書)

物語アメリカの歴史―超大国の行方 (中公新書)

面白くて一気に読めた。建国期から現代までの歴史を生き生きと描いている。とりわけ著者が生きた同時代のアメリカについては、思い入れたっぷりに描かれている。

本書の中で最も強烈な印象を与えるのは、アフリカ系アメリカ人を始めとするマイノリティの凄まじい人種差別体験について書かれた箇所である。著者の場合もそうだが、人種的・民族的な多様性の中で生きるということの経験が乏しい日本人は、人種や民族にまつわる差別に対して鈍感であるとよく言われる。しかしこれは歴史的・文化的にやむをえない事情であり、また本書からもわかるとおり、差別に対する過剰とも言えるほどの意識が、かえって人種間・民族間の違いを際立たせ、そうでなければ誰も意識することのなかった対立関係を呼び起こしてしまうという側面もあるのである。差別を意識すればするほど、差別をする側もされる側も共に内へとこもってしまい、多様性を成立させる基盤を弱めてしまう。

日米関係のパターンについて、著者は以下のように分析する。

ここにいたるまでの日米関係を整理してみると、幕末の開国から日露戦争(1853〜1905)の第1期は友好関係、日露戦争が終ってから真珠湾(1905〜1941)までの第2期は対立関係、日米開戦から日本の降伏(1941〜45)までの第3期は戦争関係、戦後は一転してオイル・ショックまでの第4期(1945〜73)が蜜月関係ということになるだろう。ここで歴然としてくるのは、先進国と発展途上国とか、勝利国と敗戦国というようなタテの関係のときは友好や蜜月の関係が続き、日米がヨコの関係に近づくにつれて対立が激しくなるという事実である。要約すれば、「日米は対等で仲がよかったことはない」ということになり、1973年以降は「対等で友好」という未知の世界を両国が模索しはじめたことになるだろう。(259頁)

差別の場合もそうだが、このような歴史的パターンを聞かされると、対等な相互承認というのは言うほど易しいものではないことが改めて実感されるのである。