井門富二夫編『アメリカの宗教伝統と文化』書評

sunchan20042005-02-14

アメリカの宗教伝統と文化

アメリカの宗教伝統と文化

玉石混交の論文集である。『「ジョージ・ブッシュ」のアタマの中身』(講談社文庫)『宗教からよむ「アメリカ」』(講談社選書メチエ)の著者である森孝一や、『破られた契約』『心の習慣』などで著名な宗教社会学者、ロバート・N・ベラも執筆者に名を連ねている。本書の最も重要なテーマは宗教の公的機能と、アメリカにおけるこの公的機能の特殊性である。

周知のように、アメリカという国は、ヨーロッパ旧大陸で宗教的な迫害を受けていたプロテスタント(巡礼父祖、ピルグリム・ファーザーズ)が、聖書に忠実に従って純粋に宗教的な国、聖書の中に出てくる「丘の上の町」を新大陸に建設しようとしたことにその起源を有している。従って、アメリカという国はその成り立ちからしてそもそも原理主義的な思想を包摂していた。原理主義といえばアメリカと敵対するイスラーム原理主義ばかりがイメージされている昨今だが、アメリカこそ「キリスト教原理主義国家」として生まれた国家であることは確認しておくべきだろう。

さて、宗教の公的な機能についてだが、井門富二夫は、全ての独立社会は一種の「宗教的・道徳的共同体」であると見る機能主義学派の見方を紹介している。彼らは、独立した社会は「それ独自の宇宙観をもって、それ独自の価値・規範にもとづく人間関係(法律とか社会制度)を維持していかねばならない」(13頁)と言う。すなわち、宗教は社会制度を支えて当該社会の統合と安定を維持するための価値観を形成する、重要な一要素であることを意味する。このことは、かなり低下しているとはいえ、いまだに先進国中で宗教団体所属率の割合がダントツに高いアメリカにおいてとりわけ言い得ることだろう。アメリカでは、特定の宗教・宗派を優遇することは憲法で禁じられているが、宗教的価値観、つまりほぼアメリカ国民全員に共有されるキリスト教ユダヤ教的伝統は、公的行事において頻繁に現れる。これを森孝一は「見えざる国教」と呼び、ベラは「市民宗教」と呼んだ。また、本書の中で中野毅も、アメリカにおける宗教の公共的役割を指摘している。

「宗教的個人主義」は、紛れもなくアメリカに深く浸透した基本的宗教観なのである。その上で、宗教は市民社会の道徳の涵養、他者に対する適切な関心、社会参加のルールなどの民主主義にとって重要かつ不可欠の市民的エートスの醸成を通して、公共的役割を果たすべきだと考えられている。(60頁)

極めて多様な民族的背景をもつ移民から成った国であるため、一つの国家として統合を維持するためには、多数派が共有する価値観や理念を唱えることが必要とされるのである。ドイツの神学者ユーゲン・モルトマンが言うように、アメリカとは「共通の過去を持っていないために、共通の未来についての意志を欠くと、昔の個別の民族的アイデンティティへと逆行してしまう国」(208頁)なのである。

宗教の公的な機能の第二点として、ベラは経済活動を支えるものとしての宗教を指摘する。とりわけ日本とアメリカの経済発展の背景には、宗教的・道徳的価値観があったと言う。

私が指摘したいのは、多くの国で経済の近代化が伝統的な構造を破壊し崩壊と沈滞を招いてきたにもかかわらず、日本とアメリカでは、経済発展と社会関係や倫理関係の古い構造とが互いに強化しあってきたということです。(47頁)

両国において宗教は、個人が完全に孤立してしまうことを防ぐ役割を果たし、無節操な自己利益の追求に歯止めをかけ、倫理的実践の全様式を強化し、それによって、活気あふれる社会の形成に役立ってきました。こういった意味で宗教は、我々の現代経済が包含する唯物主義的かつ個人主義的な性質を中和してきました。宗教は、経済が自ら作用するに必要不可欠な社会的エコロジーを破壊してしまうことを防ぎながら、経済成長への活力を持続させてきたのです。(48〜49頁)

宗教と経済発展の関係については、こうした見方に対する反論もあるだろう。プロテスタンティズムの倫理が資本主義の発展に大きく寄与したと論じたマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』も、歴史学的にはすでに反証されていると聞く。ただ、経済活動や労働に対する考え方に宗教的・道徳的価値観が影響を及ぼしている側面があることは事実だろうと思う。

昨今のアメリカにおけるネオコン受容の風潮は、今まさに問題となっている種々の政治経済的要因に加えて、伝統的な原理主義的価値観が大きく影響を及ぼしていると考えるべきだろう。森孝一が指摘するように、もともと内政問題にしか興味のなかった宗教右派を、ネオコン外交問題に引きずり出してきているのである。(『「ジョージ・ブッシュ」のアタマの中身』66頁)原理主義的な価値観が外交問題にも適用されると、理想郷としてのアメリカの価値や制度を、非民主主義的な(と彼らが考える)国にも広めようという考え方に発展する。森が「アメリカとアメリカ国民を分析する際は、彼らの宗教的ともいえる世界観に着眼しないと間違う」(同書、6〜7頁)と断言する通り、喫緊の政治経済的問題だけを見ていてはアメリカの行動の淵源を理解することは難しいだろう。