ノビーレ、バーンステイン『葬られた原爆展』まとめ

sunchan20042005-05-09

葬られた原爆展―スミソニアンの抵抗と挫折

葬られた原爆展―スミソニアンの抵抗と挫折

  • 作者: フィリップノビーレ,バートン・J.バーンステイン,Philip Nobile,Barton J. Bernstein,諏訪幸男,藤井美代子,吉田雅之,三国隆志,新谷雅樹
  • 出版社/メーカー: 五月書房
  • 発売日: 1995/09
  • メディア: 単行本
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【重要箇所抜粋】

■展示台本の記述「歴史上の議論:原爆投下決定は正しかったか?」

 五十年を経ても、この問題をめぐる議論はおさまることがない。研究者の多くは、原爆は戦争を早期に終結させ多数の生命を救ったと論じ続けている。たとえ、本土侵攻で出る米軍兵士の戦死者数が、戦後に行われた推計より著しく低いものであったとしてもである。他方、原爆投下は不必要であったとする学者たちもいる。トルーマン大統領には幾つかの選択肢が存在していたのに、ただソ連を牽制したいがために計画を推進していったのだと言うのである。

 学者たちの多くが一致している点は、確かにソ連の存在はトルーマンと側近たちの考え方に影響を与えたが、米軍兵士の生命と戦争の早期終結のほうがもっと重要であったということである。また、「原爆投下の決定」なるものは存在しなかったとする歴史家も多い。トルーマンはすでに進行中の作戦準備活動を単に承認しただけであり、「マンハッタン計画」の勢いはとどめようもなかった。また、ドイツと日本の都市に戦略爆撃が行われていたことも原爆投下を行うことを容易にしていたと言うのである。

 しかし、本土侵攻および事前警告なしの原爆投下にかわる他の選択肢が存在したことは明らかである。例えば、天皇の地位を保証し、原爆の実際の威力を敵にデモンストレーションして見せつけるか、あるいは日本の損害を増大させる海上封鎖、空襲、ソ連参戦の結果を待つかである。だが、このような選択肢は、あとから考察するからこそ明確になるものであり、たとえこれらの方法を取ったとして、はたして日本政府が早期に降伏したかどうかは推測の域を出ない以上、「原爆投下決定」をめぐる賛否両論の議論はこれからも消えることはないであろう。(129〜130頁)


■バートン・J・バーンステイン「あとがき 歴史をめぐる戦い」

米国の政策決定者たちが日本への原爆使用を決定する際、ソ連を牽制する動機があったかどうかについては、大論争がある。知的責任を負う展示台本である以上は、この問題を扱わないわけにはいかなかった。学芸員たちの展示台本は、多くの学者はソ連牽制説を退け、展示台本の言葉を使うなら、「トルーマン大統領と彼の側近たちは何よりも原爆を戦争を早期に終結させる手段と見なしていた」と大勢が結論している、と主張した。この見解はウォルクやバンディ、バーンステインやフェイス、また初期のシャーウィン(一九七五年の彼の著作)の見解を反映しており、アルペロヴィッツやメッサーの見解は欄外に置いたのである。賢明にも展示台本は、最近の原爆に関する研究の多くが、トルーマンが「原爆投下を中止し」ようとしなかった理由として対ソ的動機があったという見解をとっていることを紹介している。(264〜265頁)

第一次世界大戦」関係の展示に空軍協会が不平を唱えても、退役軍人やメディアはほとんど関心を示さなかったが、「エノラ=ゲイ」展ではそうではなかった。この問題はより現在に近く、感情はもっと激したものとなった。(275頁)

 ある意味では、退役軍人のグループは、自分たちが推し進め、多くのジャーナリストたちが無批判に受け入れた考え、つまり退役軍人だけが原爆の「真の」歴史を知ることができるという考えでまた有利な立場に立った。このような考え方があったがために、ポール・フッセルの初期の主張をはるかに超えて、戦争体験を持つ退役軍人たちが、歴史を定義することができたのである。戦争体験のない歴史家たちは、特に彼らが原爆投下についての正統的な見方を侵すような場合は、すぐに撥ねつけられた。結局のところ、連中は第二次世界大戦で戦ったことはない、原爆使用の経緯を知っているなどと主張できるはずがない、というわけである。

 ほとんどのジャーナリストと政治家は、歴史的知識の構成方法に関して、自分たちが極めて異常な考え方を受け入れていることを認識していなかったように思われる。つまるところ、太平洋戦争でどれほど兵隊たちが血みどろに戦った経験があるとしても、その経験のおかげで、一九四五年当時のワシントンの重要な政策決定者が原爆投下を決定した理由が自分たちにわかるなどと言えるであろうか。しかもずいぶんと時間がたっているのである。

 当時の全体的状況を理解することは確かに不可欠である。しかしそれだけでは十分ではない。過去の歴史を本質的に理解するには、ましてそれがワシントンで行なわれた高度な政治決定の経緯についてであれば、公文書を調べ、回顧録をしばしば参照し、戦時や戦後に行われた当事者へのインタビューにあたらねばならない。これは完全な方法ではない。正直な研究者なら、証拠資料の解釈と評価に異議を挟むことができるし、実際にそうしている。しかし、この方法は、証拠資料に基礎を置くものである。太平洋であろうと他のどの戦場であろうと、兵士としてどれほど辛酸を嘗めようが、歴史家として行動し資料を吟味しない限り、彼らの「経験」も、原爆使用などの重大な問題について「説明」する必要な情報を与えてくれはしないのである。(280〜281頁)


〔歴史上の議論〕(スクリプトのユニット2:原爆投下の決定)

1.ドイツへの原爆投下はありえたか?(94頁)
2.米国は日本の和平工作を無視したのか?(103頁)
3.米国が天皇の地位を保証した場合、はたして戦争は早期に終結したか?(105頁)
4.「対日原爆投下決定」にソ連はどのくらい重要な要因であったか?(110頁)
5.事前警告あるいはデモンストレーションは可能だったか?(117頁)
6.原爆投下がなかった場合、本土侵攻は不可避であったか?(121頁)
7.原爆投下決定は正しかったか?(129頁)

【コメント】
 バートン・J・バーンスタインは、終戦直後と冷戦初期の歴史について多くの論稿を世に出している歴史学者である。本書の中で、どういう点においてこれまで延々と歴史家の間で議論がなされてきたのか、これまでどのような見解が出され、そして意見の一致が見られているのはどういう点においてなのかがまとめられている。特に、抜粋最後に書いた「歴史上の議論」は、この原爆投下決定にまつわる議論で必ず繰り返される問いである。YesからNoに至るまでいろんな見解が存在してので、幅広く各学者の議論をフォローできてないとこのテーマを深く論じることは難しいだろう。