つれづれ日記:ウェブ上の論文は「凄いクォリティ」か

たやしんから議論が周ってきたので、ここでも議論ふることにします。最近こんなサイトがあるそうです。
http://www.happycampus.jp/

それでそれについての議論スレが以下だそうです。
http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2005/08/report_4b17.html

うーん、これってどうなんでしょうか。
個人的にはこんなのは↓の方が言うように、昔からあったはずのもの。
http://blog.drecom.jp/bureaucrat_gunsi/archive/42

知に対する姿勢が同じだからこそ(つまり「何をどれだけ知っているか」で評価するのがアカデミズムのヒエラルキーのあり方)、それを逆手に取って「Google先生」に教えを請うているというのは確かにそうかも知れない。さらに、そういうことをすることに対する罪悪感がますます低下しているというのもその通りかも知れない。

だけど、さっきも言ったようにそれは程度の差こそあれ、紙媒体の論文が主流だった頃からあったことで、大学が抱えている問題自体は変わってないと思う。大学における学生の評価基準の質がその程度のものでしかないということだと思う。

なんかあるベストセラー作家の本のタイトルみたいで嫌なんだけど、基本的に「質問力」が一番大切なんだと思う。いろいろ読んで調べたのはいいが、それでだから何?と言われて、そのとき自分の問題意識をどういった疑問文で表現できるかというのが一番大事。そして他人の議論に対して、どういう疑問を投げかけることができるかというのが一番大事。それをちゃんと評価できるようなシステムになってないことが問題なんじゃないだろうか。

あと、この人「凄いクオリティの膨大な量のレポート、論文が共有用に公開されてる」とか書いてるけど、こんなのにいちいち価値を与えるから「社会のお荷物的モラトリアム大学院生」(自戒を込めて)が図に乗るんであって、基本的に小谷野敦が言うように、紙媒体になってない論文は無価値だと思う。というか学術雑誌に載せられるようなレベルじゃないからこういうところに載せるしかないんであって、いくら内容が優れていようと、学問的には無価値だと思う。そんなに優れてるんだったら、厳しいレフェリー付きの学術雑誌に投稿すればいい。(もちろんヴァーチャルな世界に存在する論文が無価値と言ってるわけではない。きちんとしたレフェリーがついていないのが無価値にしているという意味。)

もちろん議論の触媒にするのはいい。最初から学術的価値を追求してなどいないけど、議論をする場を提供したり参照情報を提供したりする目的ならいい。その意味ではここの書評ブログも、学問的には全く無価値だけど、これを読んで問題意識を高めたり参照情報を得る人がいてくれるならそれでいい。

だけど、学問の世界は違う。なんの社会的信憑性もないものを軽々しく認めるほど厳密性に欠ける世界ではない。そんな甘いものではない。彼らも頭ではわかってるのかも知れない。でも恐らく、こういうサイトに自分が書いた論文やレポートを登録する人たちの中には、自分の書いたものがアカデミックな意味でも価値あるものと勘違いしてる人も多いと思う。

最近こういう「ちょっと物知りな社会的敗北者」の傷ついた自尊心を慰めるようなサイトが増えてるような気がして、個人的にはあまりいい感じがしない。そこから早く抜け出してやろうという意欲のほうが大事であって、「これぐらいでいいんじゃね?」と思わせるシステムって有害なんじゃないだろうか。