田邊敏明『地球温暖化と環境外交』書評

地球温暖化と環境外交―京都会議の攻防とその後の展開

地球温暖化と環境外交―京都会議の攻防とその後の展開

1997年に京都で開催された第3回枠組条約締約国会議(温暖化防止京都会議)で日本代表団の一員として交渉に携わった外交官が京都会議の全容について書いた本。この本を貸して下さった方が言うとおり、「京都会議開催中の著者の日記」のように細かい交渉プロセスや内情まで書かれている。京都会議の詳細な交渉過程を知りたい研究者などには有用な本だろうが、地球温暖化問題についての導入部として使えるような易しい概説的な本ではない(本のタイトルからしてそう思われかねないので)。

本書の端々から、この交渉がいかに困難であったのかが伝わってくる内容となっている。何度も議定書の採択が危ぶまれながらも、交渉のアクター全員が京都会議を成功させたいと願った結果、京都議定書は出来上がった。

最後の最後までもめたのが「数値目標」と「途上国問題」で、前者は日米EU間でなんとか「6%−7%−8%」という削減率で収まった(附属書Ⅰ国(先進国)全体では5.2%の削減)が、後者は結局京都会議では決着がつかなかった。南北問題が注目を浴びた頃から長らく存在している先進国と途上国の間のお互いに対する不信感がまだ根強く残っていることの証となってしまった。

しかし、とにもかくにも先進国間だけで採用が決まった「排出権(排出量)取引」と「共同実施」については、京都会議後、その実現(または規制)に向けて動きが活発化しつつある。こうした動きに見られる重要な変化とは、京都会議においては温暖化防止政策と経済発展が対立概念として特に途上国側(「G77+中国」)から受け止められたのに対して、近年の排出量取引と共同実施の実現化の動きがその二つの間の調和を保ちつつ慎重に進められていることだろう。

しかし他方で、京都会議以降の日本の温暖化防止政策に対する疑問も多く出されている。とりわけ、2001年3月に現ブッシュ政権京都議定書からの離脱を表明し、全世界に衝撃を与えて以降は、日本国内でも京都議定書の批准に向けた動きにブレーキがかかったと見なす人もいる。(最終的には2002年に批准。)
http://www.kyoto-seika.ac.jp/matsuo/k_magazine/k_maga_104.html

また、90年を基準年として二酸化炭素の排出量の6%を削減することを京都議定書で約束したにも関わらず、日本では90年以降も一貫して排出量は増えており、議定書で定められた2008〜2012年の間に6%を削減するという目標の達成は現状ではかなり困難であるといえるだろう。その焦りからか、「京都メカニズム」(排出量取引、共同実施、CDM)を最大限利用することによって、排出量削減義務を可能な限り小さなものにしようとする動きも強まり、それを「抜け穴の拡大」と見なして批判する議論も存在する(同上および
http://www.kyoto-seika.ac.jp/matsuo/k_magazine/k_maga_117.html)。

本書は実際に京都会議の交渉に携わった人物が書いたものであるので、そうした批判とは違った視点で書かれていることは致し方のないことだろう。しかし、言うまでもなく、法的拘束力を持つものとして合意を見た京都議定書の中身が実際に達成できるのかどうかということが今後最も大事なことなのだから、もしそうした目標の達成を妨げかねない(骨抜きにしかねない)要素に対する批判があるのであれば、1999年の時点で出版された本書は予測される「抜け穴」批判にもきちんと答えておくべきだったと思う。

今年(2005年)の枠組条約締約国会議(COP11)は来月11月末からモントリオールにて開催される。今年からは第1回京都議定書締約国会合(MOP1)も併せて開催され、京都議定書を実施に移すために必要な決定がなされることになっている。そこでは、米国不在のままでも実効性のある温暖化防止政策が可能なのかどうかが議論されると思われる。京都会議後に当時の橋本首相が出した談話で言われている「人類の歴史に残る成果」(233頁)という評価を下すには、もう少し時間が要ると見るべきだろう。