ルソー『孤独な散歩者の夢想』


孤独な散歩者の夢想 (新潮文庫)

孤独な散歩者の夢想 (新潮文庫)

ルソーのことをほとんど何も知らない自分のような人間がこの本を読むと、いきなり自分の「迫害者」たちに対する恨み辛みの文章が並ぶ冒頭(「第一の散歩」)に戸惑うのではないだろうか。これは本書を読んでいるうちに、そして訳者による巻末の解説を読んでわかるのだが、ルソーは彼が書いたもののせいで、ヨーロッパにおいてかなりひどい迫害を受けたようなのである。

皆から愛される幸福な生活から、突如としてどこへ行っても憎悪と嫌悪を向けられるつらく苦しい生活に転落したルソーは、長年の苦悶の末、ついに全くの孤独を自ら選択することになる。そして恐らく彼の最後の作となった本書で、誰のためでもない自分のためだけの内省録を綴ることにしたのであった。

こうして僕は自分自身の経験で悟ったのである。真の幸福の泉はわれわれのなかにあるということを。そして、幸福たらんと欲することのできる者を、実際に不幸にするのは、彼ら人間のせいではないことを。(20頁)

そして本書全般にわたって、自分との対話または独白が続く。なかなか難解な内容であるため、理解できるところのみを、ひょっとしたら間違った自己流で解釈するしかなかったのだが、以下のような文章を読めば、誰でも「う〜ん」と考えさせられたり、はっとさせられたりするのかも知れない。

神は正しい。神は僕が耐えしのぶことを欲している。そして、僕が清浄潔白であることを知っている。僕がみずからを恃むにいたった動機はここにあるのだ。僕の心情と理性は、この自己信頼が僕を裏切ることはないであろうと、僕に向って叫んでいる。だから、人間どもや、運命のしたい放題にさせておこう。文句をいわずに、耐えしのぶことを学ぼう。一切のものは、終局は、秩序にかえるのが当然だ。そして、僕の番も、遅かれ早かれ来るだろう。(32頁)

老人の勉強というのは、もしまだ老人になすべき勉強があるとすれば、それは死ぬことを学ぶことだけである。ところで、僕の年齢の人たちが、最も等閑に付しているのは、実にこの勉強なのだ。人々は、この年齢になると、あらゆることを考えるが、このことだけは除外している。どんな老人も、子供以上に生命に執着している。そして、青年以上にいやいやながら生命を終えるのである。それというのも、彼らがなしたあらゆる仕事は、皆なこの生命のためであってみれば、彼らの労力のむだであったことを、人生の終りに際し初めて知るからであろう。彼らの一切の骨折り、一切の財産、勤勉な夜業から得た一切の成果、これとて全部、彼らはこの世を去るときには棄てていかなければならないのだ。生きている間、彼らは、死んでも持ってゆけるものを獲得しようなどとは考えてもいなかったのである。(34〜35頁)

彼らの哲学は、いうなら、彼らにとってよそごとなのだ。他の人たちより学者先生でありたい一念から、宇宙はどんなふうにできているかを知るために、宇宙を研究するのである。これではまるで、何か機械でも見つけると、まったくのもの好きからそれをいじくり回すのと同じことだ。彼らが人間の本性を研究したところで、それは学者らしく語ることができるからで、おのれを知ろうとするためではない。彼らは他人を教えるために勉強しても、内面的に自己を啓明するためではない。彼らの多くは、ただ本を作ることしか望まなかった。それがどんな本でもいい、歓迎されさえすればいいのだ。(36頁)

自分の会話の貧弱なため、僕がしかたなしに罪のない作りごとでそれを補ったとすれば、僕は悪いことをしたことになるのだった。なぜなら、他人を楽しませるために、自分自身を卑しくしてはならないからである。そして、僕が物を書くことの楽しさにひきずられて、実際あったことがらに、作り物の装飾を加えたとすれば、僕はなお一層悪いことをしたことになるのだった。なぜなら、真実をお伽噺で飾ることは、事実、真実をゆがめることになるからである。(78頁)

僕は自分自身の善行の重圧をしばしば感じたのである。善行を続けているうちに、いつしかそれが義務の鎖を負わすようになるからである。そうなると、愉快は消えてしまう。最初のほどは僕を魅了した配慮だったのに、その同じ配慮の継続には、もはや、ほとんど耐えがたい窮屈しか感じなくなってしまう。僕の短かった繁栄の時代に、僕の助力を求めにきた者は少なくなかったが、僕にしてやることのできる奉仕で、体よく断わったことなど一度たりとなかった。それだのに、最初のほどは、真情を吐露してこれらの善行をなすものの、そのうちに、僕の予期していなかった契約の鎖が、つぎつぎに出てくる結果になって、はてはその束縛をのがれることもできなくなるのだった。僕の初めにしてやった奉仕は、それを受けた人々の側からみれば、後に続くべき奉仕の担保にほかならなかったのである。それで、誰か不運な人が、恩恵を受けることによって、僕を押えてしまえば、後はもうそれで決ったのである。自由な、そして自発的な、この最初の恩恵は、その後もそれを要求しうるあらゆる人々にとって、際限のない権利となり、僕に不可能の場合でさえ、それからのがれるわけにはゆかないのである。このようにして、きわめて甘美な享楽も、やがて僕には、負担の多い束縛になってしまうのだった。(中略)ここにいたって、僕は悟らざるをえなかったのだが、慈善にかぎらず、その他、人間として自然の性向を、むやみやたらに社会へ出し、あるいは、それを続けるならば、それはかえって自然を変えることになり、その最初の方針では有益であったように、とかく有害になりがちなものであるとわかった。(97〜98頁)

以上のことごとくの反省から得た結果は、そこにあってはすべてが窮屈であり、負担であり、義務である文明社会に、実際のところ、僕はぜんぜん適していなかったということである。そして、僕の生れながらの自立性が、彼ら人間とともに生きるに必要な服従をいつも僕に不可能ならしめたということである。僕は自分が自由に行動するかぎりにおいて、善人であり、善いことしかできない人間である。それだのに、僕は束縛を感ずるやいなや、それが必然性の束縛であれ、人間の束縛であれ、僕は反抗的になる。というよりは、ひねくれてしまう。(109頁)

人間の自由は、自分の欲することをなすことにあるなどと、僕は一度も思ったことはない。ただ、自分の欲しないことをなさないことにあると思っている。(109頁)

僕は愛するためには、しずかに心をひそめる必要を感じた。(171頁)

文学に関わると狂気に憑かれてしまうルソーはついに文学を棄て、孤独な、しかし本書を読む限りは決して不幸ばかりとは思われない晩年を過ごしたのだった。

『夢想』のルソーはもう予言者でもなければ、偉大な革命者でもなく、ただその辺にいる、不幸で無器用な老人にすぎない。(青柳、以下同、180頁)

そしてルソーは、人間に対する愛が孤独をもってしか成り立ち得ないことを完全に悟る。

それからまたジャン・ジャックは言う。「人は事物から遠ざかり、自分自身に近づくにしたがって、はじめて地上で幸福になりうる」(書簡)。つまり、幸福をよそに求めてはいけないのである。自分たちの知らないところから引出してくる幸福は、贋物の幸福である。本物の幸福はわれわれ自身の中にあるのである。だから、なによりも、自分にもどることである。自分を自分の中に集中することである。「黙想しなさい。孤独をお求めなさい……哲理を考えるためには、まず自省しなければいけません……一人でいても退屈しないことをお学びなさい。人は孤独に生きていると、いよいよ人間が好きになるものです」(ウドトー夫人への手紙)。このようにして、争闘の鎮まった孤独のおかげで、ルソーの人間ぎらいは寛容になり、その個人主義は同胞愛になるのである。つまり、彼が人間を避けて孤独になるのも、実はふたたび人間に再会して、人間をより愛さんがためだといえる。ここにおいてジャン・ジャックの感性は、自己と他人を、エゴイスムと隣人愛を混同する。
ところがはからずも、時代と場所を隔てて、ロシアのステップの果てから、ドストエフスキーがジャン・ジャックに呼応して叫んでいる。「私は人類を愛すれば愛するほど、個人をきらう。私の夢は人類のために自分を犠牲にするほどまでに昂(たかぶ)ることがままある。それだのに、他の男と同じ部屋に二日同宿することは、私には耐えられない。私は誰でも自分に近づいてくる者の敵になる」(190頁)

ルソーの数奇な生涯を知ることで、これよりも前に書かれた彼の本にも興味が出てきた。迫害を受ける原因となった『エミール』や『山だより』、そして『告白録』と『対話録』を、理解できるかどうか自信はないが、いずれ読んでみたい。ラ・ロシュフーコーにせよラルフ・エマーソンにせよジョージ・バーナード・ショーにせよ、世界のいわゆる名言・格言なるものは、今回自分がこの本でやったように、かなり都合よく全体の文章から部分的に切り取ったものにすぎないのだと思うが、それでも自分に理解できたところだけを自分の人生に関連づけながら面白く読むことができるのであれば、それでいいのかも知れない、とこのルソーの本を読みながら少し思った。