リリー・フランキー『東京タワー』書評
- 作者: リリー・フランキー
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2005/06/28
- メディア: 単行本
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それと、母親のガンを他人事のように呑気にしゃべる医者に対して怒りを感じるのは理解できるにしても、それを取り巻くいろんな事務的作業に携わる人たちにいちいち怒りをぶつけるのは大人げないと思う。そういう自分だって、世界中で毎日起こっている、内臓を引きちぎられそうなくらいつらい肉親との死別の悲しみの全てに対して、「他人事ではない」態度を取れるわけではなかろう?それは八つ当たりというものだ。
でもこの本全体において、著者が自分自身と世間に対する鋭い観察眼を持っているなと感じられる箇所がたくさんあった。
そして、美術大学というところは特殊な価値観の中、学生が温度の低い優越感を抱いている。もう、そこに入学しただけで自分が芸術家にでもなったような気分でいる。
ボクはそんな環境をくだらないと思い、個性という言葉の大好きな没個性の集団に最大級の軽蔑を抱いていたが、その連中と自分の違いはどこにも見つかることがなく、自己嫌悪と劣等感は消えることがない。(170頁)
なんとか大学は卒業できそうだ。周囲はまた、就職活動をする同級生で慌ただしくなった。この会社は可能性があるとか、おもしろいことをやってるとか、それまでバカ丸出しの大学生だった友人も、この時期になると急につまらないオトナの仲間入りをする。友達同士で話すことと、面接官と話すことの区別がついていない。(186〜187頁)
愛する肉親を失った者にしか、説得力を持って言えないセリフもあった。
希望を込めて想う“いつか”はいつまでも訪れることがないのかもしれないけれど、恐れている“いつか”は突然やってくる。(403頁)
きっとその通りなのだろう。親だけではなく、自分にとって大切な人すべてに言えることだと思う。
この本を読んで、「オカン」だけではなく、「オカン」を取り巻く人々がなんと魅力的な人たちかというのが伝わってくる。できることなら自分も、この「オカン」やその周りに集った人たちと長時間お話ししてみたかった。
東京という大都市が、実際には無機質で退屈なロボットの集積場所なんかではなく、ちゃんと血の通った人間どうしの関わりが存在していることを知ることができる本。