桜井邦朋『続大学教授―日々是好日』(地人書館、1992年)書評

【印象に残った箇所】
「人間にはその一生の間に、自分の関心や趣味が変わることなど大いにあることにちがいない。また、その人間が研究者であったり、大学教授であったりした場合に、その専門とする研究分野を変えるなどといったこともあるにちがいない。私にいわせれば、一生を通じてその専門とする領域が変わらなかった人間など、オカシイのではないかということになる。学問の最前線が激しく変わっている今日では、自分の専攻する分野を時宜に応じて変えながら、どこかの分野の最前線でできるだけよい仕事を生みだしていくことが、研究者として最も生き甲斐のあることだし、実際にすべきことだと私は言いたい。」(65頁)

「私は文科系の学問と言われる分野のことについて、いろいろと勉強するのが好きである。高校を卒業する頃、大学へ入ってどんなことを学んだらよいかについて、担任の先生に相談に行ったことがあるが、そのときの一番大きな問題は、理学部を受験するか、文学部を受験するか、どちらの方がよいかということであった。文学部へ入って史学を専攻したい気持もあったし、もしパスできるものなら経済学部へ入って人間の経済活動についても勉強してみたかった。積極的に理学部へという指向は私にはなかったのである。当時、数学を担当されていた先生に、「やっぱり、君は理科だな」と言われたのが、理学部を受験した最大の理由なのである。もちろん、理科へ行ったら生物学をやりたいとは考えていたが、高校生の頭では、遠い先のことや、本当の適性などわかりはしないのである。」(102〜103頁)

「私に言えたことは、他人の研究論文や著書、総合論文などを読んでいたときにでてきたいろいろな疑問をひとつずつ、自分にわかるまで、あるいは、納得いくまで突きつめてみることが、結局は、自分の研究テーマを見つけることにつながるのだといったようなことであったと思う。自分の心に生じた疑問や勉強してわからなかったことを解きほぐして理解することが、研究の第一歩なのである。こうした理解の中から、ときにまだ誰も研究したことのない問題やテーマなどが見つかることがあるのであって、これをやったからヒントがでて、研究テーマが見つかるなどというわけにはいかない。」(138頁)

【コメント】
『大学教授―そのあまりに日本的な―』の続編である。相変わらず同じことを何度も繰り返し書いていることが多く、全頁にわたって重複している印象は前著とほぼ同じである。ただ、全体的には、これも前著と同じく、正論を貫いていると思う。

自分の印象に残ったのは、文科系と理科系をまるで違う世界に住む人間であるかのようにはっきりと区別するのは、今では日本ぐらいであるということ(かつてはイギリスにもあったと言っている)、そして研究テーマというものは、専門の著書や論文を読んだ時に抱いた小さな疑問を徹底的に追究することから生まれてくると言っていた箇所である。前者については、著者は実体験から以下のような話を書いている。

「いつのことだったか、大学における私の居室へ事務担当の人―それも地位が上の方の人だが―が、所用で訪ねてきたことがある。しばらくして彼は、机の上にアリストテレスの著作集がのっているのを見つけ、物理学者である私が、このような本を読むのかとたずねたのである。アリストテレスには宇宙論や大気学、さらには動物学など、自然科学の広い分野にわたる著作があるということについて、彼が知識を持っていなかったのかどうかは私にはわからない。だが、私がこのような書物を読んでいることが大変に奇異に思われたのは事実である。物理学者が、こんな本を読むはずはないのだと決めてかかっているような態度が、彼の発言から感じられたからである。」(32頁)

数学や理科が得意だったか苦手だったかで文系・理系の区別をして(されて)しまうような現状では、この事務担当者のような考え方をする人は珍しくはないだろう。しかし数学が苦手であろうと、数学的(つまり論理的)思考ができなければ社会的にも学術的にもとても通用できないし、逆に理系の人が特に現代史についての歴史感覚や自分なりの歴史観・倫理観を持っていなかったならば、海外の人から尊敬されることは恐らくないであろう。さらに、つねに幅広い分野にアンテナを張っていれば、自分の専門分野においても独創性を生み出す可能性がそれだけ高くなることもまず間違いないだろう。著者も言うとおり、独創的な研究の多くは、分野の境界で起こっているのである。教養教育とは本来そうした独創性につながることを目的としていたはずであった。「雑学」と呼んで軽く見ていると、あとでとんでもないしっぺ返しを食らって後悔することになる。