つれづれエッセイ:「日本人全員大使」論―カーティスの銭湯思い出話
長年コロンビア大学で教授をしているジェラルド・カーティスという人がいます。少し古い本ですが、いま彼の『ポスト冷戦時代の日本』(東京新聞出版局、1991年)という本を読んでいます。カーティスは日本政治経済の専門家で、『代議士の誕生』という本で一躍有名になりました。日本の政治経済について、政府レベルから地方レベルまで、本当によく知り尽くした研究者であり、日本にとってもかけがえのない理解者です。
この本の中で、彼が初めて日本にやってきて東京で生活をしていた時の非常に印象的な話が出ていました。まだ23歳の大学院生だったカーティスが日本にやってきたのは1964年。東京でさえもまだ外国人が珍しい存在だった時代です。下宿には風呂もシャワーもなく、冬は寒さに耐え忍ばなくてはならなかったようです。
その中で銭湯に行った時の思い出話が出てきます。少し長いですが、以下に引用してみます。
夜遅く、漢字の勉強などの宿題を終えてから石鹸とタオルを持って、近くの風呂屋へよく出かけた。リビジョニストとして日本でも有名になった評論家のジェームズ・ファローズ氏が書いた日本での風呂屋の体験を読んだ時、自分のそれとあまりに違っていたのに驚いた。
ファローズ氏によると、息子たちを連れて風呂屋に行った時、湯舟に入ると、中の客たちが一斉に逃げ出したという。彼はこれを人種差別感情、非日本人と湯舟に一緒に入ることへの日本人の嫌悪感のせいだと解釈している。このいやな経験が、どうもファローズ氏の日本観に大きな影響を与えたらしい。
私の体験も多分、私の対日観に影響があったろう。風呂屋へ出かけるのはいつも夜遅かったから、同じ顔ぶれによく出くわした。その人たちは西荻窪駅の北口に沿ってのびる商店街のおやじ連が多く、初めのうち、彼らは目礼するだけで、話しかけてこなかった。
しかし、割合早くその様子が変わった。私はよく西荻窪の小さな大衆食堂で夕食をとっていたが、そこの主人のおかげで日本食とも近づきになれた。私がタコや納豆、鯨肉、それに焼き魚の類を何でもすすんで食べ、主人の料理を好き嫌いしないことが分かってからは、すっかりうちとけた間柄となった。
ある晩のこと、その食堂の主人が風呂屋に来ていて、私が湯舟に入るとすぐに話を始めた。彼の仲間も大勢いて、私が少し日本語をしゃべるのを知ると、話に加わってきた。
その時の湯はまるで拷問を受けているように熱かった。何度か出ようと思ったが、話相手が見つかったうれしさに加え、話の途中で抜けて失礼と思われたくなかった。彼らときたら、長年の慣れで、私には熱湯と感じられた熱さにも平気なようだった。私はぐっと我慢して入っていたが、ついに湯が熱すぎるとか何とか言って、湯舟からはいだした。そうこうするうち天井が回りはじめ、私はしゃがみ込んだ。のぼせてしまったのだ。話相手だった一人は私を見て、大バケツに入った氷水を頭の上からぶっかけてくれた。これで私の“のぼせ”が治り、みんなで大笑いした。
こういう小さな出来事は案外、人間に大きな印象を残す。人々は親切で思いやりがあり、ユーモアの感覚もあると思った。その時の気持ちはいまでも残っている。しかし、あの風呂屋も含めて一九六四年当時に繁盛していた銭湯のほとんどが消えてしまった。良かれ悪しかれ「銭湯日本学」は過去のものとなってしまったのである。(15〜16頁)
この「ちょっといい話」を読みながら、国に対する印象というのはなんとちっぽけな出来事で左右されるものだろうと思わずにはいられませんでした。ちなみに「リビジョニスト(修正主義者)」というのは、特に80年代後半に、日本の対米貿易黒字がますます増え、逆にアメリカの対日貿易赤字は一向に減る気配を見せず、両国間の貿易摩擦が険悪な様相を呈していた頃に、政治経済の構造から見ても文化的特色から見ても、日本は特殊な国であり、そのような特殊な国に対して自由貿易の公正さを求めても無駄であるから、厳格な対応でもってその閉鎖的市場と不公平な貿易慣行を是正させないといけないとする「日本バッシング(日本たたき)」の理論的支柱を提供した人たちのことです(一般には「日本異質論」などと呼ばれています)。カーティスの引用の中で出てくるジェームズ・ファローズの他には、チャルマーズ・ジョンソンがリビジョニストとしては著名です。
銭湯での嫌な思い出がリビジョニスト・ファローズを生み出す決定的な要因だったわけではないでしょうが、それでもここには象徴的な意味があるような気がします。人はいくら客観的に物事を見ようと努力しても、第一印象に価値判断を大きく左右されるものであり、好き嫌いの感情は意外なほどになんら根拠のないものであることが多々あるように思います。
カーティスはリビジョニストの日本観に異を唱えながらも、日米ともに相手国に対する無知や先入観を排する努力をする必要があることを本書で繰り返し説いていて、リビジョニストとは違った日本批判を展開しています。
海外で生活をしていると、誰だって嫌な経験は多かれ少なかれします。こちらの英語がうまく通じなかった(またそのせいで冷たい態度をとられた)、人種差別的な態度をとられた、日本では考えられないような金銭トラブルに巻き込まれた、などなど、自分や身近な人たちの経験を見るだけでもその例は枚挙にいとまがありません。
でもそこでその国のことが一気に嫌いになったり、またはそういう嫌な思い出から、帰国後、日本にいる外国人に冷たい態度を取るようになってしまったり、あるいは「やっぱり日本が一番だ」と感じて表面的なナショナリストに変身してしまったとしたら、その人の海外生活の経験はなんとくだらないものに堕してしまうでしょうか。
外国人だろうと日本人だろうと、いろいろな事情が重なって機嫌が良かったり悪かったり、あるいは無知だったりするものです。そういうのをいちいち国の印象にまで「格上げ」して好き嫌いを決めつけるのは、やっぱり未熟で情けない態度だと思います。にもかかわらず、残念ながら第一印象がとてつもなく影響力を持ってしまう事実には改めて注意しないといけないのだろうと思います。こちらの一つ一つの言動が、外国人をリビジョニストにしてしまう可能性もあるし、あるいはよき理解者にするかも知れないのです。
どこにいようと、各個人はそれぞれ「民間大使」であって、自分の一挙手一投足が外国人にとって日本の判断材料になるという認識が必要です。ちっぽけな嫌悪感やごく一部だけの現象を根拠に、勝手になんでも決めつけないだけの広い視野が必要なのだと思いますし、それこそが今さかんに論じられる「教養」が提供できるものの一つであるような気がします。
※そういえば、卑猥な日本語は全部、銭湯でのおやじたちとの会話で学んだと言っていたのはフローラン・ダバディだったかな?侮るべからず、銭湯国際交流…。