金子貴一『報道できなかった自衛隊イラク従軍記』書評

報道できなかった自衛隊イラク従軍記

報道できなかった自衛隊イラク従軍記

イラクに派遣された陸上自衛隊に民間人通訳として参加したジャーナリストの51日間の活動記録。自衛隊員の生々しい生活ぶりやそこで受けた心身のストレスなどは、新聞やニュースではなかなか報じられなかったものだろう。血便・血尿が出てしまうほど過酷な環境の中で任務を行っていた自衛隊員たちの顔が見える、貴重な報告になっている。


イラクの地権者たちとの賃貸交渉の生々しさは、「人間の利害関心というものは世界のどこへ行ってもさほど変わらない」という思いを強めさせる。こうした考え方は、「彼らは我々とは全く異なる文化的慣習の中で生きてきた人たちなのだ」という理解と両立可能なものである。むしろそうした人間の両側面についてのバランスの取れた理解こそが、異文化理解の核心であるとさえ思う。


息つまるルポが終わったあと、終章で『文藝春秋』で執筆した記事の要約が終章として掲載されている。この章になるとトーンはガラッと変わり、ありふれた米軍批判になって面白みは激減する。四六時中ともに生活した自衛隊員たちとは違って、外からしか米軍を見ずに書かれたものだからだろう。顔が見えないのである。


その終章の中に「アラブ流の交渉術で香田氏は解放可能だった」という一節がある。ここで著者は、小泉首相が「自衛隊は撤退させない」と断言せずに、もし「自衛隊の撤退は国会の決議が必要だから、四八時間では決定できない」とでもいっていたら、交渉の余地は生まれていたかも知れないと論じている。(224〜227頁)


著者は香田氏を殺害した武装勢力側が「日本政府が最初に自衛隊撤退を拒否したため、交渉時間が限られ、なにもできなかった」と言っていたのを間接的に聞いたのを根拠に、「政府がアラブの常識に無知だったこと」が殺害に至らしめた要因である可能性が高いと示唆している。(226頁)


本当にそうだろうか。この事件の核心はそんな問題だったのだろうか。時間を稼いで殺害を回避できたとしても、結局撤退しなければまた日本人が狙われるだろうし、そもそも武装勢力側が言っていることに根拠は何もないのである。「異文化に対する十分な理解」という誰もが異論のない価値を根拠に個別の事件や事例を批判すると、往々にして核心を逸らした分析になると自分は思う。


本書の中で一番気になったのは以下の箇所である。

この式典でわたしは、はじめて日本のマスコミを客観的に観察することもできた。情報を制限し過ぎる自衛隊にももちろん問題はあるが、こちら側から見る報道陣はひどく軽薄な存在に映った。わたしも本来はその一員である。この経験を真摯に受けとめていかなければならないと思う。(200頁)

筆者には「なぜこのとき軽薄だと思ったのか」を今後徹底的に追究してほしいと思う。「軽薄な存在に映った理由」もよくわからないうちから、軽々と「真摯に受けとめて」はいけないと思う。