手書きの手紙

以前にクリフォード・ストールの『インターネットはからっぽの洞窟』を読んだ時、「訳者あとがき」に、ストールはこの本を書く際に「筆記用具が作品におよぼす影響を検証する」実験も兼ねていたのだと書いてあった。

つまり彼は3つの「筆記用具」(ワープロソフト、タイプライター、手書き)によって書く内容がどう変わるか試したのである。

結果は、ワープロソフトは、とにかく文字数がかせげる。タイプライターに向かった日は、ワープロのときよりも、コンパクトで抑制のきいた文体になる。手書きの日は、人との関わりや自分の生い立ちについて書くことが多い、ということだった。(『インターネットは空っぽの洞窟』、403頁)

これを読んで思ったのは、人に手紙を書く時、特にシリアスな内容の手紙を書く時は絶対に手書きにしたほうがよいということだった。今までの自分の経験をふりかえっても、そのような思いを強くした。

だいたいパソコンで手紙を書くと、書かなくてもいいことまであれこれ書いてしまう。それはタイプするスピードが速いから、思考の移り変わりとほぼ同じスピードで文字を生み出してしまうからだ。思ったことを全部文字にしてしまうのである。

しかもあとで書き忘れたことに気づいたことは、文章の途中でも挿入して書き足すことができる。これが余計な部分をさらに増やすことにつながる。

それに対して手書きだと、確かに書き直す手間は大幅に増えるが、書くスピードは到底思考のスピードにはついていけないから、そのぶん逆にじっくり考えながら一番大切なことだけ書く。このことは、とりわけ相手に対して感情的なことを書く時には利点になる。書かなくてもいいことを書く心配がなくなるから。

厳密さや説得力のある説明を要求される論文などではワープロソフトじゃないともはやまともなものが書けないような状況になってしまっているが、相手の感情を刺激するような内容の文章は、やっぱり手書きにすべきじゃないかと思う。