世論調査は信頼に足るか

2009年4月24日付の朝日新聞で、特集対談「オピニオン メディア衆論」で「選択の年 世論調査の質が問われる」という記事が掲載されている。その中で、朝日新聞編集委員の峰久和哲氏が最近の世論調査の問題点に言及している。

まず回収率がひどく下がっている。80年代半ばまでは回収率は80%あって当たり前だった。今では面接調査でも60%、現在主流のランダム・デジット・ダイヤリング(RDD=コンピュータがランダムに発生させる番号に電話して質問する方式)では、調査時間帯に全員不在だった世帯も分母に含めると、実質的な回収率は50%に満たない惨状だと思われる。
また、非常に回収率の高い世論調査でも常に3ポイント前後の誤差があることがわかっている。回収率が低いRDDだと、正直どれぐらい誤差があるか、計算もできない。
サンプリングに偏りが生じている可能性も極めて高い。RDDでは、基本的に家庭用の固定電話しか対象にできない。携帯電話にいきなりランダムに電話しても、出てもらえないからだ。今の若年層は、携帯だけで、固定電話を持たない人が増えている。そのため、若年層から得られた回答に偏りが出ていることが考えられる。
本来、世論調査で数字を出すべき世論には3条件が必要だ。問題意識を国民みんなで共有していること、その上で議論が行われていること、そのプロセスを経て多数意見が醸成されていること。だが今はそういうプロセスで世論が形成されていないため、世論調査が単なる反応調査、感情調査になってしまっているのではないか。
一部のメディアにはそうした問題点の認識もなく、非常にお粗末な調査さえある。そんな調査でも「世論調査」としてまかり通ってしまうのは怖いことだと思う。

また、対談の中で峰久氏と評論家の宮崎哲弥氏が、同じ出来事に対して違う世論調査の結果が出た具体例を挙げている。

峰久 08年8月、福田内閣改造についての世論調査で、読売新聞は内閣支持率41%と報じ、朝日新聞は24%と報じた。同じ日に同じようなRDDで調査しながらこの結果だった。

宮崎 それを受け、読売は「改造の成果があった」と書き、朝日は「改造効果なし」という記事になった。二大全国紙で改造に対する評価がプラスとマイナスにはっきり分かれてしまったのだ。

峰久 読売が「このたび福田内閣は改造しました。あなたは福田改造内閣を支持しますか」と質問したのに対し、朝日は前置きをせずに「あなたは福田内閣を支持しますか」と聞いた。これがまず決定的に違う。「改造しました」と前置きしてから改造内閣への支持を聞くと、改造したこと自体への評価がどうしても加わるからプラスが多くなるのだ。

あいまいな回答をした人への対応も違う。朝日は重ねての質問はせず「その他・答えない」で処理する。読売は重ね聞きをし、「どちらかといえば支持」と答えれば支持に加算した。他にも、調査時間帯の違いなど、朝日と読売の調査には違いが山ほどある。

これほど恣意的な調査に脆弱な「世論」に寄りかからずには維持していけないのが民主主義であるから、その制度の価値とともに弱点や怖さも同時に認識しなくてはならないだろう。

こうした「質問の仕方の違い」や「前の質問が後の質問に影響を及ぼす(carryover effect)」ことなどが調査結果を左右する点については、従来の社会調査論のテキストでも指摘されてきたことである。しかしこの記事で面白いのは、最近の調査の傾向として「回答者が空気を読んでしまう」傾向があることが示唆されている点である。

峰久 (中略)実を言うと、最近の世論調査では、ずいぶん難しい質問をしても、大して時間もかけず、いとも軽やかに回答が返ってくる例が増えてきたように感じる。ちゃんと考えて答えていただいているのかな、と不安を抱くこともある。おそらく、この問題ではこう答えるのが正解だという空気のようなものを読んで回答しているのではないかとさえ思ってしまう。

バカな回答をして恥ずかしい思いをしたくないから、瞬時に場や質問の空気を読んで無難な答えを言ってしまう。(典型的なのは「政治がひどいからこうなる」のようなな回答。)なびきやすいのである。

数年前に、谷岡一郎『「社会調査」のウソ』(文春新書)の書評を書いたことがある。
http://d.hatena.ne.jp/sunchan2004/20041130
その書評の中で自分は

「調査とは調査を行なう者のバイアスがどうしても避けられないものであり、その意味で完璧な調査などない。しかし、様々なバイアスをできる限り最小にして、より現実の形に近づいたものであればよしとするのが、社会調査論のルールである。」

と書いたが、この記事を読むとそんなに単純に楽観できるものではないことがわかる。コミュニケーション・メディアの技術革新に世論調査が全くついていけてないことも大きな原因の一つである。そのくせ世論調査で出される数字は首相の進退を左右するし、企業の株価を上げ下げさせるのである。信頼に足るものではないから無視しておけばいい、などと言えるものではない。

谷岡氏が書いているとおり、このデータ過剰の時代に「データの豊富さ」だけで競っても意味がない。大事なのは何を捨てて何を選択するかの基準を自分自身で確立することだろう。