谷岡一郎『40歳からの知的生産術』書評

40歳からの知的生産術 (ちくま新書)

40歳からの知的生産術 (ちくま新書)

同じ著者の書いた『「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ』(文春新書)を読んだのは8年前である。その時に書いた書評では、自分はこの本のことを「数十冊に一冊の割合でぶちあたる、とても有益な本」だと絶賛した。その同じ著者が書いた本とあって、偶然に書店で見つけた時に、タイトルに惹かれるものがあったこともあり買って読んでみた。

残念ながら期待外れであった。タイトルは著者が決めたものではないのかも知れないが、読み終わってみてどこが「40歳からの知的生産術」と言えるのか皆目わからなかった。amazonのレビューも見てみたが否定的な評価ばかりだった。

読んでみてまず思ったのは、『「社会調査」のウソ』と同じ著者とは思えないほど文章が下品なことである。「くだけた」と言えば聞こえはいいが、柄にもなく著者は言葉遣いで悪ぶってみせるのである。ひょっとして、訳書は全て買うことにしていると筆者が本書で言っている(120頁)山形浩生の真似をしているつもりなのだろうか・・・。あまり知性が感じられず、高校デビューしたヤンキーのようで決して格好のいいものではない。126頁で図入りで説明されているクリア・ファイル方式は、直後で著者自身が認めているとおり、野口悠紀夫の『「超」整理法』の焼き直しにすぎないし(「ここで告白しておこう」などとかっこつけなくても、読めばすぐわかる)、7章の「セレンディピティ能力」なんてビジネス書「もどき」本(勢古浩爾)じゃあるまいし、それに「自分で考える力」だの「批判精神を持ち続けろ」だの、よりクリエイティブなものが優先順位の上位を占めている著者の割りには、ありふれた「知的生産術」論である。

どれもどこかで聞いたことがあるような議論だったが、それでも本書の前半はまだ面白かった。

「複合できることを同時にやること」(11頁)
「情報量の浅いコミュニケーションを減らすこと」(48頁)
「ダラダラとした仕事をしているなと感じたなら、いっそ楽しいことをする方がよい。それは次の作業をよりクリエイティブに変えるものである。」(55〜56頁)
「集中して作業できる、特に知的創造をめざして集中できる、ということが何と幸せなことであるか。すべての人々に環境条件として与えられているわけではないことを前に述べたが、その環境が与えられている人は、その環境に恵まれなかった人のぶんまで、創造的な何かを世の中に出してほしい。そしてそのために効率を重視してもらいたいのである。」(58頁)

という箇所については(同じことを言ってる人はたくさんいるが)、素直に頷ける意見である。クレジット・カードは使ってはいけない(92〜93頁)とか、「それまで得られた知見を頭の中で組み立てたり、熟成させたりするには、外からの情報を一時的に遮断するのが好ましい」(161頁)というのもその通りだと思う。

しかし、『「社会調査」のウソ』と比べて格下感のある本であることは否めない。エリート教養人なのに文章に品がないなんて、そんな本に最後まで付き合うほど40歳は暇ではないのである。(付き合ってしまったが)