内田氏の教育論

今日の朝日新聞で、内田樹氏の肩書きが「思想家」となってるのを見て初めて神戸女学院を退職されていたことを知りました。今日の「教育基本条例を問う」から以下印象に残ったところ。

長く教員をやって、目の前で学生が知的に「脱皮する」瞬間に立ち会うことがある。目が輝き、一言も聞き逃すまいと、前のめりになる。学ぶ資質は誰にでもある。でも何が引き金になって学び始めるかは予測不能だ。わかるのは「数撃ちゃ当たる」ということ。教育理念や教育方法が違うさまざまなタイプの教師との出会いを担保することが最も取りこぼしが少ない。現場には多様性が必要だ。

教育に市場原理を導入したことが学力低下の理由だ。教育サービスが商品だとすると、消費者である子供たちは、できるだけ少ない対価で最高の商品を手に入れようとする。全く勉強しないで一流の学歴を手に入れた子供が「賢い消費者」だということになる。大人たちが「勝ち組になりたかったら勉強しなさい」と利益誘導したことで、教育はここまで劣化した。「努力したものにはニンジンを、しなかったものには鞭を」という利益誘導モデルに基づく条例案の考え方そのものが、今日の教育の失敗の主な原因だ。

戦後日本は一億総中流を理想として経済発展し、貧富にかかわらず共通の教育が受けられる仕組みを作ってきた。それが成功し過ぎたために、日本は豊かで平和な国になり、公共の福利についての責任感を持たなくてもよくなった。でも、今が「底」。震災や原発事故の後、若い人に共同体や第1次産業を志向する動きがある。本能的に公共の福利を優先させなければと分かり始めている。

小学校で読み書きや社会的規律を教えるのは強制でも、その後、成熟した市民に育ってゆく過程に強制は効かない。多様な教師が忍耐強く、子供のうちで「学び」が起動する瞬間を待つしかない。

以上、2011年10月13日 朝日新聞より。