原子力に平和利用も軍事利用もない

今朝の朝日新聞で、久々に頭をクリアにさせてくれた記事に出会いました。

原子力の利用 軍事と平和で二分するな

明治大准教授(原子力工学) 勝田 忠広


核兵器原子力の軍事利用、原子力発電は原子力の平和利用といわれる。だが、両者は技術的に分離できるものではなく、核反応を用いる点で違いはない。核による被害の側面から見てもそれは明らかで、東京電力福島第一原発事故が改めて浮き彫りにした。私たちはその科学的事実を、政治の言葉遊びでゆがめてはいけない。

福島原発事故が起きた今、「核軍縮」「核不拡散」「原子力の平和利用」を3本柱とする核不拡散条約(NPT)に、私たちはどう向き合うべきなのか。

軍事利用と平和利用を分けるNPTの考え方には、科学的に見て本来無理がある。にもかかわらず、日本政府も今まで、軍事利用と平和利用は別物であることを国内で必死に主張し続けてきた。「核」と「原子力」という用語を使い分けるのもその一端だ。

また、核兵器保有国は特権的な地位を守るため、この危険なエネルギーを平和利用というアメを与える形でNPT締約国の権利と位置づけ、他国をなだめてきた。

これらの問題点は、福島原発事故によって本質が明らかになりつつある。軍事・民生にかかわらず、言い訳を続けながらこのエネルギーを使う時代はもう終わったのではないだろうか。ようやく私たちは「核と人間」について考えるスタート地点に立った。

原発がなければ社会が成り立たず、経済も停滞するという理屈はおかしい。麻薬中毒患者の禁断症状をおさえるために、人間には麻薬が必要だ、と言うのに等しいではないか。原発がなくても成り立つ社会、経済を作り上げることは可能なはずだ。

NPTの交渉にあたる各国政府や軍縮の専門家、そして私たちは、心のどこかでこの平和利用の問題に正面から向き合うのを避けてきた。広島、長崎に原爆を投下された被爆国が、フクシマという新たな核の問題を引き起こしてしまったことを真摯に受け止めねばならない。平和利用と軍事利用の二つの側面は、実は一つの事実を見ていたことに気づくだろう。

現段階では、核軍縮に果たすNPTの役割を否定できない。とはいえ、福島原発事故の結果として、原発稼働により高度な安全性を求める一方、核兵器保有国の軍縮の進展には何の担保も求めないとしたら、核兵器を持たざる国の「権利」さえ狭まり、NPTの不平等性が拡大するだけに終わるのではないかと危惧している。

日本で起きた原発事故がNPTの矛盾を増大させるという結果を避けるためにも、世界の核軍縮に対し日本からの訴えを強めていく必要がある。

朝日新聞 2011年8月6日付朝刊より)